投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]

スレッド一覧

  1. ぽろりっ(0)
スレッド一覧(全1)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


父の家(九)

 投稿者:大沢  投稿日:2018年 1月20日(土)08時42分20秒
編集済
   峰子は夫と寝室を別にするようになっても、満足な寝
具はなかった。アパート時代に買ったダブルのマットレ
スにシーツを敷いて、毛布の上に洋掛けと炬燵布団を重
ねてもぐりこむのだった。枕がないので、座布団を二つ
折りにして使っていた。夫はそのうちに止めるであろう
とおもっていたのであろう何も言わずに放っていた。
――ねえ、ちょっと来て
ある日、夫は台所に居る峰子を呼んだ。峰子が外へ出て
みると、夫は大きな荷物を車から取り出していた。峰子
が何が入っているのかと尋ねると
――内緒だよ。開けてからの楽しみさ
と、夫は勿体振って答えた。
――あんな寝方をしてたら、身体によくないから
と、荷物をときながら夫は言った。寝具一式であった。
峰子は自分の気持が白けてゆくのを懸命に振り払おうと
した。夫はまた峰子に妥協したのだった。理解ある振り
をして、自分の気持を言えないから、機嫌をとりにかか
ったのだと峰子は腹立たしかった。
 新居に移って半年が過ぎた頃、ローンの返済も起動に
乗りはじめたため、峰子は庭の半分を車庫にして、車を
買うようにと夫にすすめた。夫の会社では車通勤をする
社員が増えたため、駐車場を新しく作ったのだと、峰子
は夫から聞かされていた。それならば夫にも車を買って、
夫が会社の他の社員達と生活レベルでひけをとらないよ
うにしなければと峰子は常々考えていた。軽自動車なら
経費もあまりかからないだろうし、通勤にバスや電車の
乗り継ぎをしなくてすむのだから便利であろうと峰子は
思った。預金ができなくなるけれど、一年も辛抱すれば
安定するだろう。幸い夫は免許を持っていた。これとい
って夢中できる趣味を持たない夫に、画家の父を見て育
った峰子は物足りなかった。何事につけても、峰子は夫
と父を比較して、夫に不満をつのらせている自分に気づ
いていないのだった。五年以上も運転をしていないのだ
からと、しぶっている夫を急き立てて、結局車は買うこ
とになったのだった。実際に車が車庫に入ってみると、
夫は暇さえあれば車の整備点検、洗車、ワックスがけと
夢中した。峰子も夫を手伝って日曜日には夫と二人で庭
にいることが多くなった。近所の主婦達が立ち止まって、
――お宅はいいわねえ、何時も一緒で仲良くて。うちの
主人なんか日曜っていうと、一人で遊びに出かけてしま
うんだから
と、峰子に言った。峰子は夫に何か心境の変化が起きる
かもしれないと、内心期待をしていた。しかし、三ヶ月
もすると
――車なんか買うんじゃなかったなあ。神経が疲れてか
なわないよ。電車通勤のほうが気楽でよかったよ
と、夫は峰子にこぼすようになった。
 

高齢者の悲哀

 投稿者:前田  投稿日:2018年 1月20日(土)06時24分49秒
  カレンダーに沿ってこれまで何度か早手回しに記してきた「大寒」(一月二十日・土曜日)の朝を迎えている。寒気は過去の気象データ上からもいよいよ後半戦に入り、これを越えれば確かな暖かい早春の季節が訪れる。人生は、歳月と季節のめぐりと共に哀歓ひとしである。きょうの文章は自作文にあらず、日本社会の悲哀を映す配信ニュースの引用である。あえて引用したのは、高齢化社会の哀しい現実を示されていたからである。【運転免許返納、最多42万人…75歳以上が6割】(2018年1月19日22時27分 読売新聞)。「昨年1年間に運転免許証を自主返納したドライバーは前年比22%増の42万2033人(暫定値)で、1998年の制度導入以降、最多だったことが警察庁のまとめでわかった。75歳以上が25万2677人で、59・9%を占めた。同庁は『運転に不安がある人は返納を検討してほしい』としている。75歳以上の高齢ドライバーに対しては、昨年3月施行の改正道路交通法で認知機能検査が強化された。医師の診断が義務づけられる『第1分類』(認知症のおそれ)と診断され、手続きの途中で免許を返納する人も多いという。本人確認証となり、バスやタクシーの割引を受けられる運転経歴証明書は、36万4634人に交付された。」昨年、私は自主返納した。このため、この数値に入る。わが返納理由は、ペーパードライバーの打ち止めであった。それでも、哀しい現実であった。高齢者に忍び寄るさまざまな現実は、寒く、冷たい。これを凌ぐには、もはや気の持ちようしかない。確かに、心身が凍(こご)えるほどのつらい現実である。  

父の家(八)

 投稿者:大沢  投稿日:2018年 1月19日(金)07時53分34秒
   新居に移ってからの峰子は、夜遅くまで机に向ってい
ることが多くなった。小さい頃から作家になる夢を持ち
続けていた峰子は、夫との結婚を決意するまで、その夢
を捨てなかった。両親の反対を受けてしまった結婚を実
現させるため、峰子は過去との未練を全て断ち切ったつ
もりであった。一年近くも実家から遠ざかり、父が時々
新居に訪れても、峰子は父の心の中をのぞかないように
つとめた。峰子は新しい生活に明け暮れた。けれど、父
との会話は峰子が断ち切ったはずの過去を容易に現在に
つないでしまうのだった。結局、峰子は両親と夫との間
に立ち、何時も心が揺れていた。積り積ってゆく感情を、
何時の間にか書き記すようになって、初めは手帳の空白
であったのが、ノートになり、やがて大量の原稿用紙に
なった。サラリーマンの夢であるマイホームを買ったお
陰で当分の間は共働きを続けなければならなかったので、
峰子が自分の時間を得るには、眠る時間を減す以外にな
かった。峰子は自分の我ままから、夫と寝室を別にする
ようになった。夫が眠ってしまってから峰子は夜遅くま
で机に向った。そのうちに、夫が新聞を読んだり、テレ
ビを見たりしている間にも、峰子は自分の部屋に閉じこ
もってしまうようになった。夫は自分だけの時間に飽き
てしまうと、峰子の部屋の襖をそっと開けて
――まだ終らないの?
と、気をつかった声でたずねた。峰子はそうした夫に優
しく返事をする器量を持たなかった。
――先にやすんで
と、背中を向けたままで返事をした。夫はしばらく立っ
たままでいるが、何んの言葉も続かないと諦めて襖を閉
めた。隣の部屋ではしきりに物音がして、夫がベッドを
直しているのが、峰子にわかった。その音が少しの間続
いて、ベッドのきしむ音が止む。その後、少しの間静か
になり、カチッとスタンドのスイッチを切る音がして、
再びベッドがきしむと、後は静かな時間が続いた。その
まま夫が眠ってしまえば、後は峰子の時間になるのだっ
たが、夫が寝返りをうつたびに峰子の神経は夫の部屋へ
散るので、峰子が本当に自分の時間を実感できるのは何
時間もなかった。
 

朝寝坊に浮かんだこと

 投稿者:前田  投稿日:2018年 1月19日(金)07時24分10秒
編集済
  一月十九日(金曜日)、朝寝坊をこうむりすでに夜明けの起き出しである。こんなことでは気が焦り、長い文章はもとより文章自体が書けない。だからと言って休むことは忍びなく、気休めにキーを叩き始めている。書き殴りはわが専売特許とは言っても、もちろん恥じ入るばかりである。何かを書かなければならないと思えば、余計プレッシャーがいや増して、いっそう書けない。すると、不断はあてにならないと見向きもしない神様にたいし、ちょっぴりすがりたい気持ちさえ生じている。私はなんたるなさけない、天邪鬼(あまのじゃく)であろうか。ようやく、一つだけ浮んでいる事柄がある。そのことを自分なりに書いて、お茶濁しを決め込んでいる。現在、わが胸中に浮かんでいるのは、拉致被害者家族の切なさ、やるせなさである。具体的には拉致被害者家族の思いをたずさえて、いっこうに埒(らち)の明かない政府間交渉を慨嘆している。確かに、双方共に思惑(おもわく)と駆け引きだらけの会談であろう。しかし、マスメディアの報道によれば、韓国と北朝鮮の間にはちょっぴり雪解けムードが漂っている。滅多に話し合いの糸口にありつけないなかにあって突然の会談は、確かにかすかな曙光(しょこう)に思えている。物事は、喧嘩別ればかりでは永遠に解決しない。双方の思惑がらみではあっても、解決の糸口はやはり話し合い(会談)である。このことでは、せっかくの両国の会談に水を差すことは愚の骨頂である。とりわけ、拉致問題の解決をかかえる日本政府が、先頭を切って水を差すこと愚の骨頂である。だから、私には腑に落ちない思いがある。朝鮮半島の雪解けムードは、拉致問題をかかえる日本にとっても棚ぼたの好機である。実際にも私は、日本政府はいっとき圧力の声を緩めて、率先して双方の会談を歓迎する、友好ムード盛り上げの一役をになってほしいという思いがある。すなわち、核放棄を声高に叫んで、圧力一辺倒だけでは話し合いの糸口はなく、拉致問題の解決は遠のくばかりである。このことはわが下種(げす)の勘繰りにすぎないけれど、核保有戦略は、今や北朝鮮にとっての鬼に金棒である。このため、核戦略を放棄することは、もはや望み薄であろう。そして、拉致被害者家族の悲哀は、拉致問題が北朝鮮の核戦略にからめられていることであろう。いくらかの餌をとられ、日本政府のメンツを捨てても、拉致被害者家族の本音のところは、拉致問題解決の話し合いの糸口を待ち焦がれてきたのである。ところが、このことはおおやけに言えない。すると、このことこそ、拉致被害者家族の苦しい胸の内であろう。現在の私は、拉致被害者家族の胸の内をおもんぱかり、いっこうに解決の糸口へありつけない悲哀を感じている。日本政府はいっとき圧力の言葉をひかえて、会談の糸口探しに向きを変えてほしいものである。拉致被害者家族の言えないことの、わが代弁である。日本政府は圧力の先頭を切って、圧力一辺倒を世界に呼びかけるようでは罪作りである。あてになりそうにないアメリカ・トランプ大統領から、少しずつ距離を置いてこそ、拉致問題解決の糸口なのかもしれない。確かに、アメリカに距離を置けない日本政府の苦しみでもある。いや、日本国民の苦しみである。拉致問題は、まさしく「歳月は時を待たない」苦しさの中にある。  

父の家(七)

 投稿者:大沢  投稿日:2018年 1月18日(木)06時05分13秒
   自分の女房の親に結婚を反対されたからって、それを
何時までも根にもって腹を立てるとは、根性の小さい男
だな。少しずつ気まずさを取除く努力をする心があれば
お父さんは何も言わないよ。そういうことができる男が、
本当の優しさといたわりを持った男なんだ。そんなこと
は他人に言われてすぐ出来ることじゃない。人間性の問
題だ。これから家庭を築いてゆくために、どうしても必
要なことだと思うけど、彼には残念ながらそれが無いよ
うに思えてならない。お父さんの思い違いならいいんだ
がなあ。
 峰子は夫の背中を見つめながら、父の言葉を思い出し
ていた。夫は確かに父が言っているように、自分にとっ
て良き伴侶ではないのかもしれない。ほんの少し温もり
の残った唐揚を口の中に入れると、峰子は急に悲しくな
って、暗い夜道に飛び出してしまった。行くあてはなか
った。実家の灯が見える近くまで行き着くと、峰子はし
ばらくその灯を見つめて、もと来た道を引返した。玄関
のベルを鳴らせば、優しく出迎えてくれるであろう父母
がいた。しかし、それをしてしまったら、父母ばかりで
なく自分までが夫との間に今より深い溝をつくってしま
うような気がした。ぼんやりと歩いている峰子の側で突
然車が止った。
――お姉さん、乗っていかない?送ってあげるからさ
車の窓から男が顔を出した。峰子は夢中で走った。息せ
ききって家に着いた峰子は大声をあげて泣きたかった。
夫は布団の中で小さな寝息をたてていた。
 

早春編、つれづれ

 投稿者:前田  投稿日:2018年 1月18日(木)04時23分59秒
  このところの私は、早春という言葉の響きの佳さにさずかり、意識して早春編みたいな文章を書いている。言葉とは摩訶不思議なものがあり、早春という言葉を用いるだけでも、気分的に寒波が和らぐ感じになる。実際の季節めぐりは、早春にはいくらかまだ早いのは、承知の助である。いや、だからこそあえて私は、意識して早春という言葉を多用し、寒気を遠退けているところがある。カレンダー上には、あさってには「大寒」(一月二十日・土曜日)と、記されている。私の場合、大寒という言葉や文字にふれるだけで、寒気ゾクゾクと、いや増すところがある。これこそ、寒気にたいし、私が根っからの弱虫の証しでもある。ところが、きのうの気象予報士の予報によれば、きょう(一月十八日・木曜日)の日本列島には、桜の時季をさらにしのぐほどのポカポカ陽気が訪れると言う。ところが気象予報士は、それにちなんで仕事柄、盛んに雪崩(なだれ)への注意や用心を告げていた。美的風景として人にこよなくもてはやされる雪景色は、一方では降り始めから雪解けまでには、人の営みにさまざまな難渋や、ずばり命を危殆(きたい)にさらすところがある。これすなわち、すべての物事には必定(ひつじょう)、幸不幸(幸運と不運)、表裏一体がともなう証しでもある。たとえば、寒気真っただ中にあって私は、落ち葉の季節外れから、日々の道路の清掃を免れている。確かに、わが日常のごく小さいことながら、ところが実際には多大の恩恵にさずかっている。一年の中でもこの恩恵は、桜の花びらの舞う頃までさずかり、私にとっては箆棒(べらぼう)なものである。大寒を前にして、暖かい日になるというきょうの予報をかんがみれば、季節は確かな足取りで早春へめぐっている。同時に、季節のめぐりは、いよいよ待ち焦がれていた三寒四温のお出ましである。マスメディアの伝える世界の情勢は、二月にひかえる冬季・平昌(ピョンチャン・韓国)オリンピックの思いがけない副次効果で、北朝鮮の動向が凪(なぎ)状態にある。北朝鮮の金正恩委員長が暴れなければ、敵対するアメリカ・トランプ大統領は拍子抜けとばかりに、おのずから世界の情勢は静穏になる。私には、この静穏さは驚くばかりである。もちろん、見え透いたいっときの静穏であれ、歓迎するところである。双方の国の丁々発止のやりとりがいっときでも静かになれば、落ちこぼれを拾うみたいに、おのずから日本の政治もいっとき静かになる。すると私は、北朝鮮が暴れなければ、世界の情勢はこんなにも静穏になるのかと、あらためて実感しているところである。欲張りの私は、この静穏の長続きを願っている。さて、現在開催中の大相撲初場所(東京都墨田区・両国国技館)は、初日からきのうの四日目まで波乱状態にある。波乱の誘因をなすのは、二人の横綱すなわち稀勢の里と白鵬の黒星続きである。実際のところは、すでに稀勢の里は三敗、白鵬は二敗である。不祥事続きの大相撲にあって、さらに風雲急を告げる、看板力士・二人の横綱の危ぶまれる取り口である。寒気緩んでも大相撲ファンの私には、穏やかな心境でおれない早春の出来事である。とりわけ、稀勢の里の場合は、もはやたまゆら、かりそめの異変、あるいは椿事(ちんじ)とは言えない土俵際にある。好漢・稀勢の里の奮起を望むところである。  

早春の絵になる風景

 投稿者:前田  投稿日:2018年 1月17日(水)07時17分15秒
編集済
  早春の候にあって、身近なところで絵になる風景は、庭中の椿の花の蜜に吸いつく、メジロの可愛い姿である。揺れ動く椿の花にこころもともなく嘴(くちばし)を突っ込む光景には、茶の間の窓ガラスを開けて声援したくなる。もちろん、こんな野暮な行為は、厳に慎みてご法度(はっと)である。実際には飛び去るまで、息を殺して心中で応援を続けている。ところが、もっと長居を望んでいても、何にびくびくしているのか、まもなく飛び去ってゆく。私にすれば残念無念きわまりない。生来、メジロには飛び回る習癖があるのであろうか? と、勘繰り諦めざるを得ない。確かに、メジロならず私とて、椿の花の蜜はほのかに甘いことを知りすぎている。なぜなら、子どもの頃の私は、手当たり次第に椿の花の蜜を啜っていた。啜り方は、おのずからメジロとは逆である。メジロの場合は、揺れ動く枝についたままの椿の花に、ラッパ型の正面から嘴を突っ込んで啜る。私の場合は、そんなサーカスみたいな芸当はできない。すなわち、私は枝から花をとって、背面の付け根の穴を口元に寄せて啜る。メジロと私の啜り方で一つだけ共通するところは、丹念にスースーと啜ることである。メジロは、わが唯一の愛鳥である。それでも子どもの頃の私は、「メジロ落とし(捕り)」の遊びに狂奔していた。省みればとんでもない罪業(罪つくり)だった。ところが、この悪業をつぐなうことはできない。メジロ落としには、メジロ籠に囮(おとり)のメジロを入れて、枝に巻いたやんもち(鳥もち)の先には、椿の花を一輪つけていた。囮のメジロはメスだった。それはオスを誘い込むための知恵だったのである。メジロは私のみならず人には、圧倒的にオスが好まれていた。結局、わが罪滅ぼしは、絵になる風景をのどかに眺め、長居を望んで息を殺し、心中で声援を送り続けることしか能はない。だから、早い飛び去りにはがっかりする。メジロが飛び去ったあとには、椿の花が早春の清らかな日の光を浴びて、艶やかに照り返っている。メジロは、律義にも再び飛び回ってくる。早春の絵になる風景は、椿の花の蜜を吸うメジロの可愛らしさである。そして、この光景を音なく眺めるのがわが罪滅ぼしである。いや、罪滅ぼし叶わず、一方的にメジロに癒されているばかりである。  

父の家(六)

 投稿者:大沢  投稿日:2018年 1月17日(水)06時13分30秒
   夫はまだ帰宅していなかった。峰子は食事の仕度を急
いだ。母が手渡してくれた包みを開けると、揚げたての
鳥の唐揚げが漬物と一緒に出てきた。ちちの家の食卓に
ものっているであろうと思えば、峰子は今引揚げて来た
ばかりの父の家へ心が引きもどされてしまう自分の甘さ
を恥じた。玄関のベルが鳴った。夫はいつも決まった時
間に帰宅した。ドアの鍵を持っていても、決して自分で
開けようとせず、ベルを押して峰子が玄関に出迎えるま
で外で待っていた。
――お帰り
と、峰子が言うと
――馬鹿にするな。お帰りなさいといえ。俺は主人だぞ
と、腹を立てた。鍵を持っているのだから、峰子がわざ
わざ開けに行くまで待たなくたってと、峰子は不満であ
った。食卓に向う夫の機嫌を伺いながら
――これねえ、お母さんが貴方に食べてくださいって
と、峰子は言った。なんとかして夫と母との間の壁を取
除きたい峰子であった。父の場合は、父の方から峰子達
の新居に出向いて少しずつでも話をするようになった。
母の場合は、それは難しかった。夫の心から母の悪い印
象を取除くようにする以外に方法はなかった。
――また実家へ行ったのか
やはり駄目であった。夫は何時ものように不快に満ちた
言葉で峰子に迫った。
――務めの帰りがけに一寸立寄ったのよ。家を買った話
をしたの。ここを引越しするようになるから
――ふん、どうせ俺の悪口なんか言って笑ってたんだろ
――ううん、そんな話はしないわ。お父さんもお母さん
も喜んでいたわ。若いのによくやるって、貴方をほめて
たわ
――うるさい!あの親爺やお袋がそんなこと言うわけが
ないよ
夫は峰子に背を向けて横になった。こうなると、夫は動
こうとしないことを度々の経験で峰子は悟ることが出来
た。言わなければ何事も起りはしないのに、言わずには
いられなかった。
 

父の家(五)

 投稿者:大沢  投稿日:2018年 1月16日(火)07時55分30秒
   ある日、峰子が実家を訪れると
――ねえ、クリスマスに来るでしょ
と、母が言った。母は峰子の夫も一緒にとは決して言わ
ないのだった。
――駄目だわ。家をあけられないもの
と、峰子は複雑な心境であった。
――だってお前、たまにはいいじゃないの。何時だって
土曜は駄目、日曜は駄目って。たまの里帰りぐらいさせ
てもらったからって、罰は当りゃしないよ。お前だって
働いているんだもの。息抜きぐらいしなきゃあ
――そうもいかないのよ
峰子は母の気持はよくわかるのだ。自分もそうしたいと
思っていた。峰子は微笑した。しかし、その微笑はすぐ
にきえてしまった。
――漬物を漬けたのよ。持ってお帰り
帰り仕度に忙しい峰子に、母は小さな包みを手渡した。
――何を持たせても張合いがなくってねえ
と、母は寂しそうであった。お母さんこそ、私の気持も
知らないでと、峰子は母に言いたかった。何時までそん
な意地を張っているつもりなの。そんなことをしてどう
なるというの。峰子は口に出して母を責めたかった。け
れど一方では、嫁に出した娘に寄せる秘かな母の楽しみ
を、峰子は母にさせてやれないせつなさが、母の寂しそ
うな表情にぶつかって、母を責める心を打ち消した。全
て自らのつくり出した苦悩であった。
――気をつけて帰りなさい。あわてて怪我でもしたら大
変よ
と、母は帰りかける峰子を気遣った。
――また来るわね
と、峰子は歯切れ良く母に別れを告げた。玄関のあわた
だしい気配に
――もう帰るのか
と、父が部屋の内から声をかけた。
――また来いよ
父の声は峰子の後髪を引いた。
 

再び記す「どんど焼き」

 投稿者:前田  投稿日:2018年 1月16日(火)05時08分17秒
  一月十六日(火曜日)、現在の時間帯は午前三時近くである。きのうまでの寒さは緩んでいる。このため、気分的には萎えることなく、のんびりとキーボードを叩き始めている。いつもの習わしであるメディアの伝える配信ニュースは、すでに読み尽くしている。とりたてて、引用する記事は見当たらない。日本社会は平穏無事にめぐっているようである。北朝鮮も暴れていない。二月に行われる冬季・平昌(ピョンチャン・韓国)オリンピックの副次効果で、しばらくは静穏になるようである。きのうは、カレンダー上の「小正月」(一月十五日・月曜日)だった。これにちなんで郷愁を呼び起こされて、きのうの私はずばり『小正月』という一文を書いた。その中で具体的には、主に子どもの頃の「どんど焼き」にまつわる想い出を記した。ところが、きのうのテレビ画面で、はからずもどんど焼き光景に遭遇した。その光景は、何とわが家近場の「鶴岡八幡宮」(鎌倉市街)の境内で行われていたのである。その光景を伝えるアナウンサーは、小正月にちなむ「左義長(さぎちょう)」行事と言って、無病息災を願う行事と添えた。画面に映し出されたどんど焼きは二本立ちだった。裃(かみしも)姿の神官が火を点けた。すぐに、火は燃え盛った。周囲には参拝客が陣取った。その中の二人が、現場インタービュアーのインタービューに応じた。二人は異口同音に、思いがけない行事に遭遇したことを喜んでいた。私は画面を観ながら、どんど焼きという、言葉を待った。ところが、アナウンサーの言葉から、それは聞けずじまいだった。私はちょっぴりがっかりした。新年正月のめぐりは早いもので、月半ばを過ぎてきょうから後半へ向かって行く。その中で、今週には「大寒」(一月二十日・土曜日)がめぐってくる。確かに、いまだ寒気には気を緩めることはできない。一方であと半月余りを乗り越えれば、二月への月替わりとなり、早々には節分(二月三日)と立春(二月四日)が訪れる。このため、寒気のせいで日々往生をきわめている「ひぐらしの記」の執筆にも、チラホラと出口の明るさが見え出している。正月前半の私は、文章の出来はともかく休むことなく書き続けてきた。そして現在願うところは、この気概をたずさえて後半へ臨む心構えである。しかしこの意志の貫徹は、一寸先は闇の中にある。すると、闇を遮(さえぎ)る手立ては、自己発奮しかない。ところが、こんな実のない文章で日々を繋(つな)ぐようではこころもとない。確かに、私は闇に覆われている。一方で、幸い神頼みの左義長の行事も垣間見ることができたし、あてにはならないけれど神様頼りで、闇を払い正月の完走を願っている。カレンダー上に、「左義長」の説明はない。そのため、電子辞書を開いている。【左義長】「(もと、毬打(ぎっちょう)を三つ立てたからという)小正月の火祭りの行事。宮中では正月十五日と十八日に吉書を焼く儀式。清涼殿の東庭で、青竹を束ねて立て、毬打三個を結び、これに扇子・短冊・吉書などを添え、謡いはやしつつ焼いた。民間では正月十四日または十五日に長い竹数本を円錐形などに組み立て、正月の門松・しめ飾り・書初めなどを持ち寄って焼く。その火で焼いた餅を食えば、年中の病を除くという。子ども組などにより今も行われる。どんど焼き。さいとやき。ほっけんぎょう。ほちょじ。おにび。三毬打」。日々、同様の文章を繰り返すのが「ひぐらしの記」の特徴である。もちろん、こんなことではひぐらしの記の継続はちっとも誇れない。  

/539