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大相撲秋場所千秋楽

 投稿者:前田  投稿日:2017年 9月25日(月)07時15分54秒
  勝負事、特に相対する相撲においては、あらためて技量を超えて、気力や胆力の大事さを知らされた思いだった。茶の間のテレビ観戦を通して感じた思いだった。実際には逃げる豪栄道より、追い駆ける日馬富士の顔貌に、それらがはるかに漲(みなぎ)っていた。実際には千秋楽の二番の取組、すなわち本割と優勝決定戦において、明確に顕(あらわ)れていた。その挙句、大関豪栄道は、ほぼ手中にしていた優勝賜杯を横綱日馬富士にあえなく攫(さら)われて、波乱の大相撲秋場所は日馬富士の優勝で閉じたのである。テレビカメラは、息子豪栄道の応援に大阪から東京へ上られていた、館内のお母さんの姿を取組前から何度も大写しにした。解説者の元横綱北の富士は、「豪栄道は親孝行をしていますね」と、言った。親孝行のに釣られて、私は豪栄道を応援したくなった。ただ、日馬富士にも、モンゴルには姿の見えないお母さんがいる。私は、どちらが勝ってもいいやと、思い直した。秋場所は、三横綱(白鵬、稀勢の里、鶴竜)、二大関(高安、照ノ富士)に加えて、平幕にあって人気力士宇良が休場する異例(異常)の場所だった。それでも、大相撲人気に翳(かげ)り無く、館内にはほぼ連日「満員御礼」の垂れ幕が下がり続けていた。大相撲関係者こぞって、胸をなでおろした千秋楽であった。それは、一人横綱および一人大関として意地と面目を保った日馬富士と豪栄道の奮闘に加え、ベテランや若手力士の健闘に負うものだった。【日馬富士V 1人横綱苦悩も「心技体が整わなくて」】(大相撲秋場所 千秋楽24日 東京・両国国技館)。「横綱日馬富士(33=伊勢ケ浜)が大関豪栄道(31=境川)との優勝決定戦を制し、昨年名古屋場所以来9度目の優勝を決めた。3横綱、2大関が休場した場所で、1人横綱が意地を見せた。日馬富士は『素直にうれしいです。今日の一番にすべてをかけて、全身全霊で相撲を取りました。(決定戦は)悔いの残らない相撲を取ることとだけ考えていました。(1人横綱は)初めてのことなので、序盤は心技体が整わなくて、ただ前だけを見て頑張りました。下がるところはないので、頑張りました。余計なことは考えずに一番一番に集中していました。良い結果で終わって、本当に良かったです』と話した。1勝差を追う形で迎えた本割では豪栄道との直接対決に勝ち、ともに11勝4敗で並んで優勝決定戦に持ち込んでいた。(日刊スポーツ)」。もはや、日本の国技・大相撲に、国境はない。比べて、罵詈雑言(ばりぞうごん)尽くしの政治の世界の縄張り争いが、ほとほと恨めしい。ようやく訪れたのどかな秋空に、飛行機雲が絡(から)み合うのであろうか。政治は勝負事ではない。為政者の気力胆力は共に、それは悪徳である。  

一度目の冬支度

 投稿者:前田  投稿日:2017年 9月24日(日)07時27分42秒
編集済
  「秋分の日」(九月二十三日・土曜日)が過ぎて、きょう(九月二十四日・日曜日)の私は、秋の夜長のスラインに立っている。実際の夜長は秋と限ることなく、「立冬」(十一月七日)を越えて、「冬至」(十二月二十二日)までの長い道のりである。この間季節は、仲秋、晩秋、そして初冬、仲冬へとめぐってゆく。季節が変わればそれに応じて、気象や気温が変わってゆく。実際には残りの暖気を遠退け、しだいに冷気を強めて、とどのつまりには寒気がいや増してくる。気温の低下は、おのずから人の日暮らしや装いを変えてゆく。秋分の日を過ぎて冬至まで続く夜長は短い期間ではなく、秋をまたいで冬へと続いて三か月もある。おのずから私は、夜長をどう過ごすべきかと、この間の心構えを固めなければならない。しかし、「言うは易く行うは難し」である。結局、ただひとつ願うことは、冷気や寒気に耐え得る強い意志を持つ覚悟である。ところがきのうの私は、「暑さ寒さも彼岸まで」という、いまだに秋彼岸の中日にすぎなかったにもかかわらず、早くも冷気に負けそうになっていた。実際には思いがけない冷気に耐えかねて、あわてて装いを替えた。肌着や上着はことごとく半袖から長袖になり、下肢はステテコを股引に替えて、夏ズボンをほうむり冬ズボンで覆った。なさけなくも早や、一度目の冬支度をととのえたのである。夜長にあってこうむる罪は、冷気や寒気にさらされて、怯(おび)えることである。一方で夜長のもたらす功は、沈思黙考(ちんしもっこう)すなわちさまざまな物思いに耽(ふ)け得ることである。この功は、冷気や寒気を耐え忍ぶオマケとしてさずかる得と、言えなくもない。秋分の日を過ぎたばかりなのに私は、文字どおり冬至るすなわち冬至まで続く夜長に気を揉(も)んで、身構えている。実際、この先の夜長は「秋の日は釣瓶落とし」という、諺(ことわざ)をたずさえて冬至まで続く長丁場である。ところが、冷気と寒気は冬至のあとの厳冬をひかえて、いまだ序の口にすぎない。本当のところは、思いがけない冷気に見舞われたくらいで、泣きべそをかいてはおれない。夜長のスタートラインにあって冬支度は、緒(ちょ)に就いたばかりである。きのうの大あわてぶりは少し早い気がして、この先重ねる冬支度が思いやられるところである。  

「秋分の日」

 投稿者:前田  投稿日:2017年 9月23日(土)05時24分34秒
編集済
  秋彼岸の中日、すなわち「秋分の日」(九月二十三日・土曜日)の夜明け前を迎えている。きのう(九月二十二日・金曜日)の気象予報士は、あすは秋分の日で昼間と夜の長さがほぼ同じであり、あすを過ぎれば段々と夜の時間が長くなり、秋の夜長が訪れると、伝えていた。今さら教えを乞うこともないけれど、なぜか私は、新鮮な心地で聞き耳を立てていた。たぶんそれは、そのことばに秋分の日が言い尽くされていたからであろう。特に私は、後段のあすを過ぎれば段々と秋の夜長が訪れるということばに、しんみりとした気持ちになりこんな思いを浮かべていた。(夜長になれば夜明けに急(せ)かされずに、文章が書き易くなるなあー。だけど、寒さが身に堪えるようにもなるなあー)。確かに、秋分の日の訪れにあって私には、こんな思いが真っ先に浮かんでいたのである。もちろん、人とそれぞれに秋分の日に馳せる思いはさまざまであろう。家族そろってお墓参りに出向けば、先祖や愛(いと)しい人を慕い、あらためて家族の絆(きずな)を深める人たちがいよう。ことしの場合、土曜休日と重なり秋分の日の休日が埋没し、三連休を逃したことを損々と思う人もいよう。わが思いやこれらの人の思いは、もちろん人それぞれにめぐらす個人レベルの思いである。ところが日本の国としては、ことしの秋分の日は例年ように安穏(あんのん)な世相で、迎えてはいない。実際には、日本国民のすべてが戦々恐々の思いで迎えている。それは北朝鮮をめぐり、日本のみならず世界中の世相が混迷や狂乱状態に陥っているせいである。具体的には当事国北朝鮮とアメリカの鬩(せめ)ぎ合いで、一触即発の戦争の危機に瀕(ひん)しているからである。ところがこの危機状況は、アメリカと同盟関係にある日本の国おいても、もはや対岸の火事(戦争)とは言えず、たちまち身に及ぶものである。俗っぽく言えば同盟とは、親分・子分の関係(血盟)であろう。もっと端的に言えば子分とは、絶えず親分に付き従う家来である。実際には親分(アメリカ)がしでかす戦争にあって子分(日本)は、共に戦わなければならない。なぜなら、国力弱い家来・日本は、強い親分・アメリカに頼り切り、守ってもらえているからである。確かに、同盟いや親分・子分の関係は、日本の国にとっては好都合である。半面、仕方のない不都合もある。不都合とは、絶えず戦争の怯(おび)えにさらされていることである。本来、のどかな秋分の日にあって、現在のわが胸中にはこんなやるせない嘆息が渦巻いている。(日本も戦争をしてもいい国、いや、しなければならない国、へと成り下がったなー……)。この先、せっかくの秋の夜長が、こんな思いで埋め尽くされることは、真っ平御免こうむりたいものである。  

待合室でめぐらした思索

 投稿者:前田  投稿日:2017年 9月22日(金)06時56分43秒
編集済
  孤独とは疑わしいことばである。実際にはわが目に映る他人様(ひとさま)の姿にたいし、勝手に「孤独な人だ!」と、言ってはいけない。なぜなら、傍目(はため)にそう見えるご本人は、孤独にあらず満腹の充実感に浸っているのかもしれない。他人様の頭や心の中など、他人が揣摩臆測(しまおくそく)することなど、できるわけがない。人それぞれに頭や心の中に思索をめぐらすことは、これこそ個人に許されている、他人が決して侵害できない特権のイの一番である。妻と連れ添って歩くとき、妻はほぼ決まってこんなことばで、わが足を急き立てる。「パパ。もっと速く歩きなさいよ。みっともない、じゃないのよ!」。確かに、歩くわが足は鈍間(のろま)である。しかし、必ずしも常にのろまではない。速足で歩くときの私は、妻を後方へ置き去りにしがちである。もちろん、それには忍び得ず、私はたびたび後方を振り返り、「速く歩けよ!」と言う。ときには立ち止まり、妻が追い着くまで待っている優しさもある。ところが、こんなときの妻は、追い着くやいなや怒り顔むきだしに、「パパ。なんでそんなに速く歩くのよ。パパはなんて、冷たい人なの!」と、堰(せき)を切ったごとくに言う。私にすれば、なんだか腑に落ちないことばである。もともと私の足は、そんなにのろいわけではない。中学生時代の私は、竹馬の友・ふうちゃん(ふうたろうさん、大阪府枚方市ご在住)と共に、四百メートルリレーにおける対外(対校)試合のメンバーでもあった。妻と連れだって歩くときにかぎらず不断のわが足は、ままならないというより意識してのろまである。しかし、鈍足(のろあし)の姿こそ、わが固有の楽しみの時でもある。妻の急き立てことばにたいし、私はこれまたほぼ決まってこう言い返すのである。「おれは、頭や心の中にいろんなことを浮かべたり、めぐらしたりしながら歩いているんだよ。周囲の風景もゆったりと眺めているよ。漢字の筆順や、風景描写の文章さえ浮かべているよ。のんびりと歩くのはおれの特権だよ。この年になっては、みっともないなんて、なんにもないよ。おれののろあしをみっともないと思うなら、別々に行こうよ」。ふうちゃんは辺鄙(へんぴ)きわまりないふるさと(当時は熊本県鹿本郡内田村、現在は山鹿市菊鹿町)から、高校を卒えると大阪へ旅立った。私は東京へ上った。そののちのふうちゃんは、大阪府警の辣腕刑事として、天下一の商都の治安を守り続けた。そんなふうちゃんにたいし、私にはいまだに聞きそびれていることが一つある。それはこうである。「ふうちゃんは尋問現場において、『嘘発見器』を使用したの? 嘘発見器自体、今でもあるの、それは役立っているの?」なぜなら、私の知るかぎり嘘発見器の話題は、とうに消え去っているからである。このところやたらと話題に上るのは、AIすなわち人工知能の行く末である。人工知能の進化は、もちろん嘘発見器の開発とは月とすっぽんくらいの違いがあろう。ただ、華々しい人工知能時代の到来にあって、幸か不幸かもはや私の生存は望めない。実際のところ、生存なくは幸いであろう。なぜなら、私は訪れる人工知能時代にたいし、老婆心をたずさえずにおれないからである。老婆心とは、人工知能が勝手に人間の頭や心の中を探(さぐ)り始めたら、という妄想である。すなわち、人工知能が、人間固有の特権を脅(おびや)かしかねないという恐れである。きのう(九月二十一日・木曜日)の私は、四か月前に予約されていた「大船田園眼科医院」(鎌倉市)へ出向いた。当医院指定の予約時間は午前十時半だった。ところが、当医院を後にした頃の時間は、午後一時半だった。処方箋をたずさえて、行きつけの調剤薬局ですべてを終えたのは、午後二時近くだった。ようやく、診察室から「前田さん」と、呼ばれた。逸(はや)る心持でドアを開け、私は「こんにちは」と言って、もはや勝手知った診察室に入った。このときの私は、(きょうもまた三分間程度の診察だろう?)と、高をくくっていた。ところが、案に相違し主治医のことばは常ならず、こうだった。「右のほうは変化してないけれど、左のほうが進んでいますね。薬をもっといい薬に替えますから。今までのは一日に二度だったけれど、新しい薬は一日に一度だけでいいです。よく効きますから。その効果を見ますから、次には二か月先に来てください。いいでしょうか?」「そうですか。悪くなっているのですね」「そうですね。少し、左のほうが。だけど、心配は要りません」「そうですか。すべては、先生にお任せいたします。先生、現在の薬がまだ二本ほど残っていますが、これは止めて新しい薬をさすのですね」「それなら、それをさし終わり、そのあとで新しいのをさしてください」「だけど先生。それなら二か月先の予約では、新しい薬の効果はわかりにくいですね」「そうなら、今までのように四か月先にいたしましょう。新しい薬の効果を、三週間ほどは確かめてみたいから……」「わかりました。四か月先の予約を入れて帰ります。ありがとうございました。」思わぬ左目の進行に出合い、もくろんでいた三分間診察は、その倍の六分間ほどかかり、診察室を出た。約六分間の診察に際し私は、三時間近く待合室の椅子に座り続けていたのである。するとこの間の私は、座りっぱなしあるいは立ち代わり入れ替わりひっきりなしに訪れる、他人様の頭や心の中へ思いをめぐらしていた。もちろん私は、一切読み取ることはできなかった。もちろん人様は、だれひとり騒ぐことなく静かに待ち続けていた。それぞれの人がそれぞれの思いをめぐらしていたのであろう。結局、人間には思索という特技や特権があるからこそ、たったの三分ないし六分にすぎない診察にあって、三時間近く待っても恨みつらみなく待ち続けることができるのであろう。この間の私は、自分への思索のみならず、見知らぬ他人様の思いへめぐらし、待ち時間を埋めていたのである。人間固有の思索は、人工知能に脅かされてはいけない。わが鈍足は、わが固有の特権である。孤独もまた、他人様が勝手に決めつける姿ではない。  

甦ったモチベーション

 投稿者:大沢  投稿日:2017年 9月21日(木)08時08分29秒
   このところの前田さんのひぐらしの記は以前にも増して
充実感溢れるものがあると思います。
 掲示板を開いて目に飛び込んでくる文字たちがいきいき
と「読んで下さい」と呼びかけています。今朝の彼岸花の
表現といい、柿の実をもぐ前田さんご夫婦の季節の風物詩
ともいえる楽しい会話、はたまたふるさとのご親戚の方々
との電話など、日常の暮らしが弾んでいます。
 そしてそれを読ませて頂く読者の私も心が充実感に満ち
てきます。すがすがしい朝のひとときを味合わせて頂ける
のです。
 

彼岸花

 投稿者:前田  投稿日:2017年 9月21日(木)05時22分49秒
  梅だより、桜だより、あるいはアジサイのように、咲く前から口の端に持て囃されて咲く花はいっぱいある。咲く時期も季節に応じて、おおむねピタリである。あたりまえのことだけれど花には、咲く時期や花期など、それぞれに固有の特徴がある。花は、概してみな律義者(りちぎもの)である。花は、異常気象、台風、大雨、あるいは烈しい日照りに遭っても、時期を外すことなく咲く。きのう(九月二十日)の私は、水曜日定例の卓球クラブの練習に向けて、「今泉さわやかセンター」(鎌倉市)への坂道を下っていた。ひょっこり、彼岸花に出合った。彼岸花は、花の中でも飛びっきりの律義者である。きのうは、秋彼岸の入り日であった。路傍の彼岸花は、仰々しい前宣伝や花だよりなどなく、時期をたがえずピタリと、健気(けなげ)に咲いていたのである。草むらの中でも周囲の草は早や枯れ気味であり、加えて毒気に恐れをなしていたのか、孤影さながらにすくっと独り立ちであった。一枚の葉っぱも着けずに、薄い萌黄色のか細い茎丸出しの一本立ちであった。そよ風が吹けば折れそうだけれど、台風を避けたのかそれとも凌いだのか、折れるそぶりを見せずまっすぐに立っていた。案外、か弱く見えても彼岸花は、野花特有に強靭なのであろう。見た目、か弱く見える中に潜む強靭さは、彼岸花の一つの特徴であろう。もう一つの特徴は、茎と花のおりなすコントラスト(対照)の妙であろう。すなわちそれは、のっぺらぼうの茎にたいし、賑々(にぎにぎ)しくさえ見える花の装いである。だからと言って私は、近づいて花に触れようとはまったく思わない。このことでは、私の場合彼岸花は通りすがりに眺めるだけの花にすぎない。しかし、棚田周りの畦(あぜ)に群生している彼岸花には、彼岸花見物あるいは彼岸花ツアーも流行(はや)っているようだから、世間的には一概にそうとは言えそうにない。確かに、稲田周りの畦に連なり、あるいは群生して咲いている彼岸花の風景は、赤絨毯の華やかさに加えて、野趣(やしゅ)を醸して見ごたえがある。ところが現在の私は、それにはありつけていない。このため、彼岸花にたいし驚異することは、季節めぐりの彼岸に合わせて、ピタリと咲く律義さと健気さである。はたまた、彼岸が過ぎればひそかに姿を消しているいじらしさである。人間も彼岸花の美徳にあやかりたいところだけれど、人間には欲の突っ張りという悪徳がある。きょう(九月二十一日・木曜日)は、四か月ごとに回ってくる「大船田園眼科医院」(鎌倉市)への通院日である。なけなしの医療費をはたくのは、生存への欲の突っ張りなのかもしれない。なぜなら欲深い人間は、彼岸花のようにひっそり閑(かん)息づく、すべを持ち合わせていない。彼岸花とはだれが名付けたのであろうか? 文字どおり秋彼岸の期間(七日)にほぼかぎり、咲く律義な花である。毒を持つから、あるいは仏(ほとけ)を浮かべるからと言って遠ざけていては、せっかく恵んでくれる季節感を堪能することはできない。彼岸花ほどその名にふさわしく、季節や時期にピタリと合わせて咲く花はほかにない。確かにきのうの私は、ふと出遭った路傍の彼岸花に驚いて、彼岸の入り日を強く感じて歩いていた。
 

ふるさと慕情つのる彼岸の入り日

 投稿者:前田  投稿日:2017年 9月20日(水)06時27分29秒
  残暑なく、だからと言って初秋のさわやかさもなく、きのうになってようやく秋日和が訪れた。きょう(九月二十日・水曜日)は秋彼岸の入り日である。例年であれば残暑に辟易(へきえき)し、待っていましたとばかりに「暑さ寒さも彼岸まで」のことばが際立つところである。ところがことしの場合、この言葉はかなり色褪せ気味である。しかしながらわが体験的には、季節のめぐりにあってはこの言葉ほど、ぴたりと符合するものはほかにない。ことしは、暑さはねのけなかった。けれど、彼岸を過ぎれば確かな足取りで、冷気と寒気が忍び寄ってくる。このことをかんがみれば秋彼岸の入り日には、冬支度に身を構えるスタートラインに立つことになる。そうであれば初秋、中秋、そして晩秋へと続く、秋の好季節を堪能しなければソンソン(損々)である。きのう(九月十九日・火曜日)の私は、携帯電話を手にしてふるさと電話をかけた。こちらからふるさとへ電話をかけたのは、私自身が用件をたずさえていたからである。電話の相手は、長姉夫婦共に今は亡き、その長男清也さん(甥っ子)だった。「台風はどうだった? テレビニュースやテロップの被災状況には、ふるさと近辺の地域はなかったから、安堵して電話しなかったけど……。ばってん、ひと山越えの隣の大分県の日田地方や阿蘇地方は、また大雨にやられていたね。ふるさとは幸いにも地震を免れ、台風も免れたね。実際のところ、こんどの台風はどうだったの? きょう電話をかけたのは、台風の様子を聞くことが一つであり、もう一つは新米の時期に当たり、ことしもまたわが家と娘の分として二俵(百二十キロ)の予約して置こうと思ってね。おまえには面倒を掛けるけれど、米はこっちでも必ず買うものだから、どうせならこっちで買うより、ふるさと産を食べて、ふるさと離れを防ぎたいからね。面倒をかけるけど、ことしもいいかね……」「コメは、稲仕納(いねじのう)が終わったら、すぐ送るけんで。まだどこも、稲刈りも始まってはいないから、穫れたらすぐに送ります。こちらは、台風は雨も風も大したことはなかった。ばってん、康子(妹・私の姪っ子)の家(ふるさと内田)の栗山では、けっこうまだ青か毬栗(いがぐり)が落ちたと言っていた。康子の家は栗山がいっぱいあって、ちょうど今頃は毎日栗り出しで忙しいもん。毎日、三百キロくらいは出しているんじゃなかろかなー? ことしは、なぜか栗の値段が高いもん。いつもは五、六百円なのに、ことしは八百円くらいしよるもん」「そうや。じゃ、おまえには面倒を掛けるけど、米のことは頼んでおくよ。兄は年をとって、米づくりも栗づくりもやめているしね。台風は大したことがなくよかったね。康子の家にはこの時期、桃や梨出しの作業もあるのだろう? 栗は農家の出し値で一キロ八百円もするの? 先日おれは、茨城産の栗を買ってきたけど、一袋四百八十円だったかなあー。この時期の康子の家は、人手を頼んでいるのかね」「康子の家では、桃づくりは今もしているけれど、梨は止めている。ばってん、いろんな野菜を大づくりして、とても忙しいもん。栗山は人手には頼らなく、自分たち夫婦とおやじ(義父)だけやっています。お母さん(義母)は、もう山仕事はできんもん。自分も、何日か手伝いに行ってきました。今は毬剥き機械は買ってあるけれど、毬を穫ったり落ちているものを拾ったりすることや、傷物と無傷のものとに選り分けるのに、手間が掛かっています」「そうや。傷物もけっこう出るだろうけど、どうするのかね」「自分の家では食べきれないから、相良観音さんの杉商店のところへ持っていけば、全部買ってもらえるらしい。そこでは冷凍保存し、年じゅう栗団子を売られているから……」「そうだね。おれも帰れば、必ずそこの栗団子を買っているよ」清也さんに頼む米は、実際には康子さんの家の米である。清也さんの米作り(田んぼ)は、康子さんの家への委託となり、自作は放棄しているからである。きのうの夕方には、ふるさと便が宅配されてきた。荷送り人は、ふるさと山鹿市に隣接する菊池市に住む岡崎弘子夫妻だった。弘子さんは、ふるさとの兄夫婦の次女(私の姪っ子)である。贈り物はここ数年たまわり続けている、自宅の庭で穫れたばかりの段ボール詰めの生柿だった。段ボールの中には、手書きのふるさと便りが添えられていた。「お元気ですか。今日は台風18号が過ぎて、青空の好い天気です。こちらは助かりましたが、東北や北海道はまだこれからですね。近くの大分県はまたまた大荒れに見舞われて、水害で悲惨な状況です。日本の国は災害だらけで、困ったものですね。わが家の秋の味覚は、今年もたくさん実をつけました。静良おじちゃん、文子おばちゃん、大好きなので送ります。傷んでいるのがあるかもしれません。これまで栗は、里(内田)のお父さんとお母さんが作っていた栗をたくさんもらっていました。ところが、お母さんは亡くなり、お父さんは年を取ってしまい、今ではもらえなくなりました。悲しいけれど、仕方ないですね。これからは気候も良くなるので、秋を楽しんでください。それでは、文子おばちゃんにもよろしくお伝えください。としひろ、ひろこ」きのうの昼間の買い物にあって私は、一度目に味を占めて、二度目の茨城産栗と、宮崎産蜜柑を買った。ふるさと産栗と柿が行きつけの「大船市場」(鎌倉市)へ出回れば、高値に惑わされず、すぐさま所定の籠に入れるつもりである。好季節到来の彼岸の入り日にあって私は、たらふくふるさと慕情にひたっている。  

十八号台風、余波の功罪

 投稿者:前田  投稿日:2017年 9月19日(火)06時49分46秒
編集済
  きのうの「敬老の日」(九月十八日・月曜日)の鎌倉地方は、夜明けの空を見ての予測通りに、時間を追って天高い日本晴れとなった。実際には、台風一過のさわやかな日本晴れだった。しかしこの表現は、台風十八号に被災された人には、憚(はばか)れるところがある。このたびの台風十八号は、日本列島を縦断した。このため、テレビに映し出される被災状況は、南の鹿児島県から北海道まで及んだ。テレビに映る状況を観ていると、海上に浮かぶ日本列島は、まさしく台風銀座の中に位置することを再認識せざるを得なかった。南の海上で台風が発生し、北上を続ければおのずから日本列島へ向かってくる。こののちの進路は、直撃あるいは逸(そ)れる二方向になる。直撃の場合、気象予報士はよく上陸(じょうりく)ということばを用いている。ところが私の場合、上陸ということばを耳にして真っ先に浮かぶのは、戦争において兵士が陸上戦闘へ就く様子である。それは、いよいよ危機迫る臨戦態勢の状況でもある。確かに台風は、海上から日本列島を直撃するのだから、上陸ということばもまた適当なのかもしれない。特に、鬼気迫る状況を感じることでは、戦争における上陸と相通じるところはある。一方、わが浅はかな考察をめぐらすと、台風における上陸にはいくらか腑に落ちないところがある。腑に落ちない根源をなすのは、人の意志のもたらす行為と、意志のない自然界の現象ゆえであろう。もちろんこのことは、わが下種(げす)の勘繰りにすぎない。なぜなら、気象予報士が盛んに用いることは、台風においても正当なことばとして認知されているからであろう。どちらにしても上陸ということばには、恐怖つのるものがある。台風が日本列島を見舞えば、必然的にどこかの地方あるいは地域は被災に遭遇する。すなわちこれは、台風襲来のたびに繰り返されてきた、日本列島におけるかなしい宿命である。だから、本当であれば自分自身は被災を免れたからと言って、のほほんと過ごすべきものではない。ところが人間の浅ましさは、自分さえ被災を免れれば、のほほんとしがちである。もちろん私は、このかなしい習性をたずさえている。台風一過を思わす秋天高い日本晴れの下、私は台風が汚らしく吹き落とした道路上の落ち葉の清掃をした。これには難渋をきわめた。しかし、テレビニュースで観た床下や床上浸水に見舞われた人たちのやるせない気持ちからすれば、罰当たりのするほどの小さな嘆きである。台風は、わが庭中の柿の木の葉の多くを道路上に吹き落とした。にわかに葉の透いたところには、日本晴れに照り輝くとり残しの柿の実が目立っていた。すると、山に棲みつくタイワンリスとの先取り合戦、再来となる。柿の実は、数日も経たないうちに色づいていた。青みは明るみ、旬の食べごろになっていたのである。私には再び、タイワンリスとの闘争心が湧いた。「残っている柿、全部千切るから、手伝ってほしい……」「そうね。全部、捥(も)いだがいいわよ。リスが狙っているわよ」「おれが庭の中から木切り鋏で落とすから、おまえは道路に立って、雨傘を広げれていればいいよ」「そうね。いつものようにね」「そうだよ。すぐにするからね。おれが狙っているということは、リスも狙っているよ」「わかったわ」こんな会話のあとには、互いに実行にとりかかった。妻は道路に立って、幅広の雨傘を柄むき出しに広げていた。柿の実が落ちるたびに妻も傘も揺れて、ドスンと音がした。ほぼ落とし尽くした。ところがこのあと、私には想定外の作業がひかえていた。「パパ。道路上へ伸びている枝は、伐らないと危ないわ。まだ実も着いているわよ」「あれは遠くて、おれには千切れないよ」「困るわねー、通る人に落ちるかもしれないわよ」「その前に、リスが咥(くわ)えてくれるよ」「困るわねー。あの枝、森さん(住宅内の造園業者)にたのんで、伐ってもらいしょうよ。五千円くらいでやってくれるわよ」「森さんにたのめば、根こそぎ伐ってもらわないと、枝一本五千円じゃばからしいよ。あの枝ならおれでも伐れるよ。伐るよ!」「パパで、伐れるの?」「伐れるはずだよ。やってみるよ」私は、物置から鋸(のこぎり)を持ち出してきた。そして、汗水垂らしてようやく、一本の枝を伐り落とした。枝は大きな音を立てて、道路に横たわった。頭上の空は広がり、周辺が明るくなった。私は鋏を物置に仕舞うと、鋸をたずさえて伐り落とした枝の片付けへ急いだ。この間、人や車の往来はなく、事なきを得ていた。道路に広がっていた枝葉を順々に小さく切り、わが家周りに寄せて道路を空けた。このあとは、吹き荒らされた道路の清掃と、寄せていた枝葉の後片付けに二時間弱要した。妻ならず私にも気に懸かっていた柿の木の枝を伐り落とし、私は安堵した。わが胸中には、台風の日と柿千切りの日の父と母の姿が浮かんでいた。
 

「敬老の日」前日の私

 投稿者:前田  投稿日:2017年 9月18日(月)09時30分58秒
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  「敬老の日」(九月十八日・月曜日)は、十八号台風一過の夜明けを迎えている。きのう(九月十七日・土曜日)一日じゅう降り続いていた雨は止んで、点々と青空が見え出し、いまだ朝日のない地上を明るくし始めている。時間が経てば、台風一過の日本晴れとなろう。鎌倉地方にかぎれば十八号台風は、幸いにも直撃を免れてわずかな余波にすぎなかった。しかし、日本列島にあって九州や四国地方は、十八号台風に脅かされて、死者をはじめさまざまな被害に見舞われた。このことではきのうの私は、安穏(あんのん)としてはいけない一日だったのである。もちろん私は、テレビ各局が伝える台風報道に気を揉んでいた。しかし、きのうのわが夫婦には、東京へ出かける予定があった。行き先は、初めて向かう地下鉄東京メトロ・丸の内線「中野坂上駅」下車のライブ会場だった。用件は、孫(小学四年・十歳)のライブ(ダンス)見物だった。午後三時半開場、四時開演に向けて私たちは、午後一時過ぎにわが家を出た。JR大船駅では、上り湘南新宿ライン高崎線「籠原行き」(埼玉県)に乗車した。そして、JR新宿駅で降りて、東京メトロ・丸の内線に乗り換えた。不案内駅の乗り換えには困惑をきわめて、ここではかなりの時間のロスをこうむった。それでも、三時二十分頃には目当てのところへ着いた。ところが、いまだ開場前とあって雨の中、長く観客が並んでいた。私たちは後続の並びに甘んじた。そのため、会場に入ったのは三十分強並んだ末の開演ぎりぎりだった。孫には時間を置いて二度の出番があり、二度目の終わりは五時五十分頃だった。それを観終えるとわが夫婦は娘たちと別れて、降り続ける雨の中、夜の明かりが灯り始める街で帰路に就いた。帰りは行きの学習効果でいくらか慣れたこともあり、急ぎ足で「中野坂上駅」で乗車し、「新宿駅」で降りた。ところが、乗換駅のJR新宿駅は迷路さながらに加えて、行き交う人多くごった返していた。それでも私は、後ろに従う妻を何度か振り返り、足早を止めることなく一番線ホームへ急いだ。後続する妻を急(せ)きかけて階段を上ると、停まっていた最後尾車両の横には運転士が立っていた。運転士は、ドアを閉じかけていたのである。私は眼前の電光掲示場を瞥見(べっけん)した。停まっていた電車は、湘南新宿ライン・東海道線「小田原行き」(神奈川県)だった。私はさらに妻を急き立てた。大声で、「乗るぞ!」と言った。私たちは乗車した。ドアが閉じた。一番線ホームは、新宿駅では唯一わが勝手知っているホームである。なぜなら、二兄の住む東京都国分寺市へ行くおりの利用ホームである。ところが一番線ホームは、神奈川県方面への専用ホームではなく、「新木場行き」(東京都)が交互にやってくる。このため、飛び乗りはできず、電光掲示板を見上げなければならない。このほかこのホームでは、私はこんなことに気をめぐらさなければならない。それは、浅ましくもやって来る電車の座席に座るためである。そして、これこそまた、これまでの学習効果の一つでもある。それは後部車両あたりより中程のほうが、一つ先の「渋谷駅」で下車する人が多いという事実である。このため、乗車に余裕のあるときの私は、おのずから中程の車両に乗るようになった。ところがきのうの私には、出きりだけ早くわが家へ帰りたいという一念があった。加えて、妻だけは途中で早く座らしてあげたい、という思いがあった。そのためには、中程の車両の停車位置あたりに並びたかった。しかし、停車している電車が小田原行きとわかると、早く帰ることを優先し、この思いは反故(ほご)にし、車両へ飛び込んだのである。車両は思いのほか込んでいた。私たちは、途中までの立ちっぱなしを覚悟した。すると、妻がわが袖を引き、耳元にささやいた。「一つ空いているけど、座ってもいいかな?」「空いてれば、座ればよ」妻は周囲の人様に申し訳なさそうにして、身を縮めて座った。私は安堵し、座りたなそうなそぶりは慎み、毅然として吊革を手にして立った。もちろん、大船駅までも立つ覚悟はできていた。ところがそのときである。私の前に座られていた、中年と見える女性がすっと立たれた。女性はマスクでお顔を覆われていた。「どうぞ!」。女性は次の駅での下車準備ではなく、明確な意思で私に席を譲られたのである。私はあわてた。「いいですよ。せっかく座られているのですから、気遣いなく座っていてください。途中では座れますから……」女性は、これまた身を縮めて座られた。私は女性に気を遣わせないために吊革を変えて、意識してちょっぴり離れて立った。電車は渋谷駅、恵比寿駅、大崎駅(いずれも東京都)と通過し、多摩川を越えて「武蔵小杉駅」(神奈川県)へ着いた。ここで妻の隣の席が空いた。私はおもむろに座った。同時に、通路を挟んで座られている女性へ、感謝の意を伝えるため、頭を下げて会釈した。マスクを掛けられた女性も、微笑みがけでもされているようなまなざしで、頭を下げられた。電車は横浜駅、戸塚駅に停まり、私たちが下車する大船駅に着いた。私たちは座席を立った。車内の乗客はまばらになっていた。ところが、女性はなお立たれなかった。私は女性へ近づいて、あらためて丁寧にお礼の言葉を述べた。「まだ先へ行かれるんですね。気を遣わしてすみませんでした。ありがとうございました」。マスクを外された女性は座席を立って、明らかに微笑んで「途中で座れて良かったですね」と、言われた。私には神々(こうごう)しいお顔であり、優しいことばであった。私たちは下車した。電車は発車までしばし停まった。私は見送る意志を固めて、下車した人が去ったホームにたたずんだ。妻も腑に落ちない思いで、わがかたわらにたたずんだ。車内の女性は、ホームに立つ私たちに気づかれた。ドアが閉まり、電車が動き出した。双方で手を振り合い、電車は次駅の「藤沢駅」へ向かって下った。「あの人、おれに席を譲ろうとしたのだよ」「おまえも、だれかから譲ってもらったの?」「ううん。空いていたのよ」「そうか」「そうなのよ」「人様に気を遣わせるようになっては、もう外出はしたくないし、電車にも乗りたくないね」敬老の日を前にしたきのうは、わが加齢とそれを案じる人様のご好意にさずかった、まさしく悲喜交々(ひきこもごも)の一日だったのである。  

 投稿者:前田  投稿日:2017年 9月16日(土)07時53分26秒
  かつての敬老の日は、現在は九月の第三月曜日へと移行している。このため、毎年の敬老の日は、カレンダーを見て確かめなければならなくなった。確かに、三連休になって海はともかく、秋の野山へは出掛けやすくなった。とりわけ、勤務の身の人たちには、三連休の恩恵をもたらしている。一方で定まらない敬老の日は一定日とは異なり、国民祝祭日としての存在感が乏しいようにも感じられる。過去の一定日の敬老の日は、国民生活にすっかり溶け込んで、明確にその日を浮き出たせていた。ことし(平成二十九年・二〇一七年)の「敬老の日」(九月十九日・月曜日)をひかえて、きょう(九月十六日・土曜日)は三連休の初日である。ところが、三連休を迎えて日本列島は、あいにく台風十八号接近のさ中にある。このため、行楽日和は望めそうにない。気象のもたらす脅威にあって日本国民は、災害なく通り過ぎてくれることを願うよりやるすべはない。一方このところの日本列島は、北朝鮮のしでかすミサイル発射や核の脅威にさらされている。北朝鮮がしでかす脅威は、この先いつまで続き、どんな結末になるのか、まったく予測できない人為の悪業(あくごう)である。ことしの敬老の日は、自然界および人間界共に相為す恐怖の中で迎えそうである。敬老の日とは、単にお年寄りにたいし感謝の心や敬愛心を示すだけでなく、人みな命の尊厳性を確かめ合い、おごそかに命を敬(うやま)う日でもあろう。人の命は、世界万民かつ老若男女(ろうにゃくなんにょ)共通に尊いものである。ところが、命を取り巻く世界中の世情は、常に人が人の命を顧みない惨憺(さんたん)たる状況にある。こんな中にあって命長らえることは、確かにそれだけでも敬うにあたいするものがある。あたりまえのことだけれど、特に敬老には命の尊厳性がつきまとっている。俗っぽく言えば、長生きもその一つの指標である。次の引用文は、きのう(九月十五日・金曜日)付けの朝日新聞朝刊「天声人語」の冒頭部分の抜粋である。「『敬老の日』に比べると影は薄いものの、きょう15日は老人福祉法にいう『老人の日』である。祝日法で9月の第3月曜日とされた『敬老の日』と違い、年ごとに日が動かない。不動の日である。▼長寿比較で日本は不動の首位にあると思い込んでいたが、厚生労働省の今夏の発表によれば、男女とも1位は香港、日本は2位である。男性は81・32歳に対して80・98歳。女性は87・34歳と87・14歳だった。」現在の私は77歳である。「老人の日」および「敬老の日」共に身に沁みている。「長生きはソンソン(損々)」というフレーズ(言葉)がよぎるのは切ない。  

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