投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]

スレッド一覧

  1. ぽろりっ(0)
スレッド一覧(全1)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


庭の花

 投稿者:古 閑  投稿日:2018年 5月23日(水)22時43分23秒
   写真の花は、昨日(22日)撮ったものです。妻は、庭の手入れを
していると癒される、と言っては春夏秋冬暇があると庭に出ています。
 私は・・・一寸。見るだけにしています。
 

やんぬるかな! 四字熟語のおさらい

 投稿者:前田  投稿日:2018年 5月23日(水)05時45分51秒
  自然界現象の鬱陶しい梅雨入りを前にして、日本社会はそれを凌ぐ鬱陶しさに見舞われている。おのずから私は、初夏らしいからりと晴れた五月晴(さつきばれ)の日本社会を願っている。ところが、私にとりつく日本社会の鬱陶しさの元凶は、よりもよって政治家や官僚にたいする人間不信からもたらされている。具体的には政治家や官僚の吐く虚言(嘘)と思えるものが根源である。一旦嘘を吐けば人は、理不尽を承知で突き通さなければならない。ひいては嘘の上塗りであり、恥の上塗りでもある。このところの政治家や官僚の言葉には、やんぬるかな! この現象がメデアから日々伝えられてくる。ふと、わが心中に、二つの四字熟語が浮かんだ。きょう(五月二十三日・水曜日)の文章は、忘れかけている二つの四字熟語を、辞典を開いてお浚いするものである。【指鹿為馬(しろくいば)】意味:道理に合わないことを承知で、その考えを押し通すこと。また、間違いを認めずそのまま押し通すこと。一般には「鹿を指して馬を為す」と訓読する。故事:始皇帝の死後、中国秦の趙高は権力をほしいままにするため、二世皇帝に「これは馬です」と言って鹿を献上した。二世皇帝は「鹿ではないか」と問うたが、趙高は正しく鹿といった側近を処罰した故事から。【三人成虎(さんにんせいこ)】意味:嘘や噂なども多くの人が言えば、いつの間にか事実であるかのようになってしまうたとえ。実際にはあり得ないことでも、多くの人が言うと、人はそれを信じてしまうたとえ、三人が「町に虎が出た」と言えば、それを聞いた者は事実と信じてしまうこと。「三人虎を成す」と訓読する。出典:『韓非子』内儲説・上。(いずれも『新明解四字熟語辞典』(三省堂)。ネタ切れによる、継続だけが目的のいたずらがきである。  

なさけないこと

 投稿者:前田  投稿日:2018年 5月22日(火)05時44分53秒
  五月二十二日(火曜日)、午前三時前に起き出して、すでにインターネット上の配信ニュースは、読み尽くしている。きのうはずる休みをしたため、二日続けては休めない、と自己発奮しているところがある。しかしながらやはり、書けそうにない。無理して書けば、こんな愚痴こぼしやや弁解じみた文章の書き出しになる。きわめて、なさけない書き出しを強いられている。このところ、なさけないことはたくさんある。文章を書くわが身にとって、なさけないことのイの一番は、やはり語彙(言葉と文字)の度忘れである。忘却と度忘れの違いは電子辞書を開いて、すでに「ひぐらしの記」に書いたことがある。実際にはあえて、電子辞書にすがるまでもない簡易な言葉である。しかしそのときも現在同様に、電子辞書を開いて確かめたくなるほどに、度忘れ現象に苦悶していたのであろう。身体、特に五官の衰えで頓(とみ)になさけない思いをしているのもの筆頭は、今や難聴である。だからと言って現在の私は、耳鼻咽喉科医院の外来患者ではない。ところが、これに比べて歯科医院と眼科医院は、予約通院の繰り返しにある。しかし、なさけなさを自認することでは、やはり難聴が際立っている。きのう(五月二十一日・月曜日)は、四か月ごとに訪れる「大船田園眼科医院」(鎌倉市)への通院日だった。通院目的は、現在一日に一度の目薬で治療中の緑内障の経過診察であった。日常生活にあっては、緑内障の進行を自覚すところはまったくない。普段、痛みも何も感じないゆえに、気楽な通院であった。自己診察では、通院拒否をしても構わないかな? と、思えるほどのものである。ところが、一旦この病の宣告を受けると、終身治療を免れないものである。言うなれば、大船田園眼科医院への終身牢屋入りみたいなものである。そのため、めぐりくる四か月ごとの診察のたびに私は、せめて予約間隔を六か月程度には延ばしたいと、願っている。実際にもそのつど私は、佐野主治医先生に、その思いを嘆願している。緑内障の罹患にあって最も厄介なのは、まったく自覚症状が無いにもかかわらず、死ぬまで通院を免れないこと、すなわち私の思いにすれば、命果てるまでの牢屋入りみたいな身の束縛である。さて、難聴のせいでなさけない思いをすることには、こんな事例がある。待合室では、女性スタッフの呼び出し声を聞き逃すまいと、両耳から胸に紐を垂らして集音機を手にしている。診察室近くの椅子では、集音機は外し両耳をそばだて、診察室からの呼び出し声に聞き耳を立てている。ドアが少し開き、「前田さん」と言って、女性スタッフが診察室への入室を促される。わが手でドアを開いて、神妙に入る。「こんにちは。お世話になります」と言って、おもむろに丸椅子に腰を下ろす。次には、「先生、難聴なので集音機を嵌(は)めていいでしょうか」と、お許しを請(こ)うた。もはやこの言葉は、どこの診察室においても、診察はじめの常套句(じょうとうく)になっている。つくづく、なさけない思いつのる瞬間である。ところが一方、この言葉はその瞬間、とてつもなく輝きを増すのである。もちろん、私のたってのお願い言葉を拒否される、野暮な主治医先生はどこかしこにおいても皆無である。それどころかわが願いに応えて、突然先生のお声も大きくなる。さらに先生の姿勢は、私に向かって前のめりになる。するとそのお声は、(先生、ガンガンと聞こえて、うるさいですよ!)と、心中に思うほどである。なさけないけれど、言わずにおれないわが言葉にたいする、天の声みたいにありがたい主治医先生からのほどこし言葉である。「緑内障は、まったく進行していません」という、三分間診察の結末だった。  

休みます

 投稿者:前田  投稿日:2018年 5月21日(月)05時35分26秒
  すっかり、夜が明けています。月曜病にかかったように重たい気分です。
慌てて書いても、碌なことはなさそうです。だから、自分に負けて、
休養へ逃げ込みました。
唯一の言い訳は、きょうには四か月に一度訪れる、「大船田園眼科医院」
(鎌倉市)への通院が予定されています。緑内障治療中の経過診察です。
その心の準備もあって心象で書く文章は、書けば不断にも増して中途半端
になりそうです。言い訳の棒にも箸にもかからない理由で、ずる休みを決
め込みました。
初夏の朝日は、わがずる休み気分を逆なでするかのようなのどかな輝きです。
 

見果てぬ夢(二十八)

 投稿者:大沢  投稿日:2018年 5月20日(日)08時09分46秒
   那々子の足は、『ひょうたん』に向かっていた。
すべてはこの店の縄のれんをくぐったことで
始まったのだ。
 『ひょうたん』のママは、那々子を覚えてい
た。
「順さんが姿を見せなくなってもうだいぶな
るのよ。いいひとが出来て、お見限りかと思っ
てましたけど」
 ママは、詮索するように那々子を見た。そし
て、
「行方不明なんですか。こまっちゃうわね。ツ
ケがかなりあるんですよ」
 と、まるで那々子に催促でもするような口ぶ
りだった。
 手がかりになることは何ひとつなかった。
 考えてみれば、矢島のことさえも、同じ職場
で働いていたという以外に、詳しいことは知ら
なかったのだ。
 那々子は、疲れきった足取りで帰宅した。ダ
イニングの片隅のじぶんの机に向かったが何
をする気にもなれなかった。あんなに熱中して
いた競馬のデータづくりにも心が向かなくな
り、ギャンブラーへの夢も呆気無いほど簡単に
幕切れとなった感じだ。
 立ち上がって冷蔵庫から缶ビールを取り出
し、何口か咽喉に流し込む。
「きみには夢があるじゃないか」
 突然、矢島のことばがよみがえってきた。
 憤りとも焦燥ともつかない感情が、咽喉の奥
に残るビールの苦みに混じって込み上げてく
る。ダイニングの片隅の机に視線が向くと、彼
女は立ち上がって流し台の引出しに仕舞って
あるゴミ袋を取り出し、散らばった競馬新聞や
データを破ってその中に投げ込んだ。
 他人を当てにしてばかりなどと雪子や林を
批判していたじぶんこそ、須藤や矢島や林を当
てにして生きていたのではなかったのか。それ
が証拠に、彼らが去ってしまった今、ギャンブ
ラーへの夢など呆気なく消えてしまっている。
 いったい、じぶんは何を求めていたのだろう
か。
 那々子は、次第に膨らんでいくゴミ袋の中味
が、まるで須藤や矢島や林の抜け殻のような錯
覚を覚えた。
                   (了)
文学界同人雑誌評
 大沢久美子「見果てぬ夢」(「立像」52号、
浦和市)は、何歳だったか、独身の、いわゆる
キャリアウーマンが主人公。以前別れた男に教
わった競馬が趣味で、休日には競馬場までくり
出して行くような女性である。職場の同僚で人
のいい、いつも他人の世話、もめごとの尻拭い
に奔走しているような男に、ひょんなことから
一夜の宿を貸してやり、やがて同棲、、と言って
も、共同でマンションを借りて住むがお互いに
干渉はしないというような生活を始める。彼は
四十半ばの男で、十五年も連れ添った妻から離
婚を言い渡されて家を出ていたのである。ある
日、他人の駆け落ちの後始末で、とうの娘を親
もとまで送って行くから三十万円貸してくれ
と言って、そのまま行方をくらましてしまう。
そこへ彼の妻がマンションを探し当てて怒鳴
りこんでくるが、妻の言い分は彼の言っていた
ことと大分違う。つまり、唯のお人好しと見え
た男が実はなかなか食わせものだったという
ことになるのだが、面白いと思ったのは、この
話全体が、たとえば、したたかな商売女にみご
としてやられた人のいい男、というようなよく
ある話をすっかり逆転させていることだ。主人
公の酒の呑みっぷり、男の誘いっぷり、従わせ
ぶりに、私は感嘆したが、ここまでくれば、女
性たちももはや待つばかりではないと言える
のではないだろうか。(ベストファイブに選出)

読んでくださってありがとうございました。
 

テレビカメラの威力

 投稿者:前田  投稿日:2018年 5月20日(日)06時40分27秒
編集済
  <英国>ヘンリー王子結婚式 ウィンザー城12万人祝福。「英国のヘンリー王子(33)と米国の俳優メーガン・マークルさん(36)の結婚式が19日、ロンドン近郊のウィンザー城内の聖ジョージ礼拝堂で開かれた。アフリカ系米国人の母を持つマークルさんを王室へ迎えることに風当たりも強かったが、新しい王室を望む国民に受け入れられ、同城周辺には泊まり込みの観客も含め約12万人が詰めかけた。(毎日新聞)」昨夜(五月十九日・土曜日)、NHKテレビが伝えていたこの生中継に、妻は楽しそうに魅入っていた。しかし私は、「イギリスの結婚式がこんなにはっきりと、隅から隅まで観れなんて、たいしたものだね」と言って、チラッと観ただけで茶の間を離れ二階へ向かった。背後に、妻の口癖が追っかけた。「パパって、バカねー。もう寝るの? テレビ観なさいよ! おもしろいわよ」いつものように、「おれは観ないよ!」と、言って茶の間をあとにした。私の場合、このときにかぎらず夜のテレビ番組の視聴は、おおむね七時台のNHKテレビニュースまでと、みずからの決めごとにしている。例外をなすのは、わがファンとする阪神タイガースのナイターのテレビ観戦である。ところが、唯一のこの楽しみも、このところのタイガースの不甲斐ない戦いぶりで、例外でなくなりつつある。なぜなら、負け試合をみずからの持ち時間を犠牲にして、試合終了まで観るほど私は阿呆(あほう)ではない。夜のテレビ視聴をみずからの意志で抹殺し早々と床に就くのは、翌朝の「ひぐらしの記」の執筆をかんがみてのわが自主的行為であり、もちろん悔いるところはない。冒頭にテレビカメラが映し出した一例を引用したけれど、この映像にかぎらずこのところの私は、テレビカメラの威力に驚嘆しきりである。今さらこんなことを書くようでは、時代遅れの謗(そし)りを免れず、鬼には「カラ、カラ」と笑われ、カラスには「アホウ、アホウ」と馬鹿にされ、その挙句には虫けら呼ばわりされるであろう。確かに人の世は、科学のみならずさまざまな学問や知恵をたずさえて、日進月歩どころか時々刻々と、かぎりなく進歩・発展を続けている。もちろんこの現象は、人の為す物事のすべてにおいて、まさしく森羅万象(しんらばんしょう)の様相の最中にある。それらのほんの一端にあって、日常的に道端で見上げる偉観には、まるで天を突くかのように大空へ屹立(きつりつ)している建設機械がある。わが体内の病根探しには、進化を続ける医療精密機器類がある。もちろん医療精密機器類の進化は、病根の早期発見には良いことずくめではある。ところが、生来のわがへそ曲がり精神がもたげてきて、言わずもがなのこんな野暮なことをあえて言いたくなっている。医療精密機器類がわざわざ体内の病根を探して出しさえしなければ、知らぬがほとけという、心の安らぎを得られるところはある。医療精密機器類の発達は、身体に光線を照射し、体内深くカメラを操(あやつ)り、要らぬあら探しをしでかして、心ドギマギさせるばかりである。恐怖に陥(おとしい)れる医療精密機器類に比べれば、テレビカメラの進歩発達は後顧の憂いなく、すんなりと大歓迎できる至宝のたまわりものである。大相撲やプロ野球のテレビ観戦にあってこのところのわが楽しみは、土俵やグラウンドをさておいて、本末転倒さながらに観客席の観客の姿を見ることに移りつつある。もちろん番外のこの楽しみは、個々人の観客の様子をくっきりと映し出す、テレビカメラの威力にすがるものである。すなわち、このところのテレビカメラは、土俵やグラウンドに見入る観客の様子をまるで隣の席に居合わせているかのように、鮮明に映し出している。さらに驚くことには映像の鮮明さは、今や距離や空間の隔たりを超越し、宇宙規模的に均質化されていることである。ややもすると、海の向こうアメリカ・大リーグの観客席の個々人の姿のほうが横浜球場の観客席の人の姿より、いっそうくっきりと映し出される。重ねて驚くことは、グローバル(国際化・地球規模的)時代におけるテレビカメラの活躍ぶりである。アフリカ、西欧、中東、北米、南米、中国、韓国、台湾など、すなわち世界中の出来事が、人の気配や交流薄れる隣近所の様子を凌いで、日常的に知らされることである。先日のテレビカメラは、どこかの国だったかの数軒にすぎない火事の様子をこと細かに映し出していた。この映像をいやおうなく目にした私は、テレビカメラの威力に唖然としていたのである。運よくテレビカメラに映し出されなければ、身内が少なくなるばかりのふるさと情報は、遠ざかるばかりである。  

生もの嫌いだなんて残念です

 投稿者:大沢  投稿日:2018年 5月19日(土)21時52分30秒
  ふうたろうさんへ
 そうなんですか。生もの嫌いとは本当に、本当に
残念です。もう一つ残念なのは、今回の回転寿司は
夫と一緒ではなく、私の住まいの近くに住んでいる
妹と二人ずれです。彼女もふうたろうさんの投稿を
見て、視察に同行してくれたのでした。
 そういえば、玉子焼き甘くておいしかったです。
巻き寿司は無かったような気がします。妹は巻き寿
司が好きで食べたかったようですが、私はあまり好
みではないんです。
 そうそう、若かりし頃の回転寿司は、確かに元禄
寿司だったような。
 今回は、何年ぶりかのチャレンジでした。
 

回転ずしの原点

 投稿者:ふうたろうメール  投稿日:2018年 5月19日(土)16時20分25秒
  大沢様へ
 ご夫婦お揃いで、スシローに赴いて頂き、誠に、誠に、ありがとうございました。ボクは、すし屋では、「玉子焼き、稲荷、イカ、タコ、茶わん蒸」だけを食べます。スシローの玉子焼きは、どこの回転寿司よりも、お好みです。関西風の甘味のある味付けだからです。ところで、話は変わりが、回転寿司と言えば、たぶんです。ボクの勝手な思い込み、かも知れません。昭和30年代だっか?・・・昭和40年代だったか?・・・まだ、ボクが、ミナミや、キタのマチの、ふうたろう時代のころ、道頓堀にあった「元禄寿司」が、回転寿司の原点ではないか?・・・と、思っております。その時の「元禄寿司」には「巻き寿司の皿」も、回っておりましたが、「巻き寿司の皿」は、いつの間にか、回転寿司屋から消えてしまいました。生もの嫌いな者には、残念な事です。
             ふうたろうより
 

行ってきました

 投稿者:大沢  投稿日:2018年 5月19日(土)14時34分11秒
   ふうたろうさん、スシローに視察に行ってきました。
以前の建物は様変わりしていて、店内も改装されて今風
で清潔感に溢れていました。とにかく安い。二人で十五
皿食べて満腹でした。千六百三十円なり。一人八百十五
円です。しかし、私が昔行ったことのある回転寿司とは
大違いに様変わりしていました。驚きでした。
 前田さんご夫妻のお気に入りの「千寿司」のリニュー
アルとは違って、本当に得した気分でした。
 

見果てぬ夢(二十七)

 投稿者:大沢  投稿日:2018年 5月19日(土)06時21分56秒
   矢島はやはり帰ってこない。林からも連絡は
なかったが、彼のところへでも転がりこんでい
るのかもしれないと那々子は思った。だが訪ね
てみると、林はすでに引っ越してしまって別の
世帯が住んでいた。
 那々子が諦めて帰りかけると、呼び止める声
がした。
「お久しぶりだこと。似ている声だと思って出
てみたのよ。元気そうね」
 彼女は、那々子の部屋の隣に住んでいる主婦
だった。二人目の子どもを身ごもっているらし
く、妊婦服を着ている。親しい間柄ではなかっ
たが、彼女は懐かしそうに、
「幸せそうね。あのひとと結婚なさったのね」
 と、話しかけてきた。那々子が戸惑っている
と、
「ほら、よく訪ねてみえていたじゃないの」
 立て続けに言った。彼女は、須藤のことを言
っているのだ。だが、那々子は、過去に触れた
くない気持ちから話題を変えて、じぶんのすぐ
後に引っ越して来たひとたちのことを知らな
いかと尋ねてみた。
「若い奥さんと二人暮しだったひとのことか
しら」
 那々子は、女の顔を見つめてうなずいた。
「そう言えば、奥さんの姿が見えなくなって間
もなく引っ越していったわよ。真夜中によく怒
鳴り合っているのが聞こえていたのだけれど
……。何だか、夫婦って感じじゃなかったわね」
 女も詳しいことは知らないようだった。
 立ち話も何だから、うちに入ってお茶でもど
うかと誘われたが、那々子はまだ用事が残って
いるからとその場を立ち去った。
 

/564