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  1. ぽろりっ(0)
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四十回目の「流星群だより」

 投稿者:前田  投稿日:2019年 2月23日(土)06時44分42秒
  きのう(二月二十二日・金曜日)、大沢さまより妹編「流星群だより」が送られて来た。流星群だよりは、年に二度発行される姉編「流星群」に集う、作者仲間たち向けの交流誌である。流星群だよりもまた、年に二度の発行が継続されている。このため姉妹編は、つごう年に四度発行されている。このため、大沢さまにすれば三か月に一度の発行となる。大沢さまにはまさしく大車輪のご奮闘が強いられている。ところが大沢さまは、両者の発行を二十年間一度も欠かさず継続されている。それを言葉で「神わざ」と言うだけでは、まったくわが意をなしていない。かてて加えてこれらの発行は、書き手サービスに志を置かれているものである。すなわち、掲げられている志は、書き手に寄り添う出版業の実現である。具体的にはお金のかかる本づくりをみずからの体験を通して、「安価に叶えてあげたい」という、初志一心をいだいての挑戦である。より具体的には大沢さまの場合は、自分史や自叙伝づくりなどに加えて、だれもが生涯に一冊だけとは! と夢見る、本づくりや写真集づくりへの奉仕精神である。発行と言えば誤解を招きやすいけれど、もちろん儲け主義一辺倒の大手出版社とはまったく初志を異にするものである。その志は、あくまでも書き手の創作意欲を本の形にしてあげようという一点張りである。その確かな証しは、出版社の大小や形態を求めず、自分ひとりの手作りを旨に、初志貫徹を徹底されていることである。私は詳細を知るよしはないけれど、出版業はきわめて手間暇のかかるものとは想像できる。かてて加えてそれよりなにより、一刻に神経を研ぎ澄まされて、かつ一字一句さえミス(誤り)が許されるものではないはずである。なぜなら、たった一字の文字の脱落、誤字、印刷のずれでもあれば、たちまち書き手から非難囂囂を受けて、頓挫の憂き目に遭うこととなる。もちろん書き手とて、俗に言う「鬼の首を取ったかのごとく」、むやみやたらと非難するものではないけれど、やむにやまれぬ悔しさがあるのであろう。それほどに書き手としては、ようやく書き上げた文章に、みずからの夢つなぎをしているのである。この作者の気持ちを受けて立たれる大沢さまの志は、どんなに崇高であり、半面厳しいものであろうかと、私は常に心に留めている。なぜなら私には、この思いだけしか恩返しのしるしがないからである。冒頭に戻れば流星群だよりは、まったく無償のたまわりものである。流星群および流星群だよりが届くたびに私は、大沢さまの志の崇高さに心打たれ、同時に継続の奮闘に称賛を重ねている。このため、きょう(二月二十三日・土曜日)の私は、四十回目の流星群だよりご送付を受けて、たまりたまっているわが思いを吐露し、記してみたくなっている。しかし、ほんの一部の思いだけにとどまり、とうてい書き尽くすことはできない。  

北海道に再び地震

 投稿者:前田  投稿日:2019年 2月22日(金)05時43分56秒
  「好事魔多し」。春が来たと喜んでいたら、北海道が再び強い地震に見舞われていた。【「とても驚いた」「ぎょっと…」夜間の大揺れに厚真町民 北海道地震】(毎日新聞 最終更新 2月22日 01時20分)。「最大震度7を観測した昨年9月の地震で大きな被害を受けた北海道厚真町。震度6弱だった今回は目立った被害はなかったが、仮設住宅で暮らす町民らは夜間に発生した大きな余震に不安な表情を浮かべた。」幸い大きな被害は報じられていないようだけれど、他人事に思えずその恐怖には心痛むものがある。そして、時の経過につれて、地震につきものの被害情報がもたらされてくるであろう。なぜなら震度6弱であれば、被害無しでは済まされないであろう。日本列島にあって地震は、もちろん避けて通れない国民共通の恐怖である。それどころか地震は、常に多くの被害や死傷者を生む一大惨事である。そのため私は、常日頃という悠長なことでは済まされず、時々刻々とめぐる時の刻みの中で、地震の発生に怯えている。こんなに怯えているけれど、ところが実際にはまったくの無防備である。これまでも、文章を書いている最中にあって、なんど揺らいだことであろう。そのたびに私は、じっと揺れの収まりに耐えるしかなかった。地震は天気予報とは異なり、予報はあり得ない。確かに、文明や科学は日進月歩である。しかしながら、地震、雷、台風、集中豪雨などの自然災害には、まったく防備の知恵は働いていないままである。このため人間界は、恐怖に慄いてひたすら耐えるのみである。海洋国そして島国の日本列島は、確かに山紫水明に恵まれて美しい国である。だから私は、日本列島に生存することに悔いはない。ただ惜しむらくは、地震をはじめそのほかの災害を含めて、災害列島の名をほしいままにしていることである。きのう(二月二十一日・木曜日)の今頃(夜明け前)にあっては、腰痛のため文章を途中で投げ出した。ところが幸い、きょう(二月二十二日・金曜日)現在の私は、その腰痛は自然治癒にさずかっている。しかし今の私は、瞬発の地震発生に怯えている。バカじゃなかろか、怯えてどうする? と言えないのが地震の恐ろしさである。厚真町民の安寧を切に祈るところである。  

無題

 投稿者:前田  投稿日:2019年 2月21日(木)05時41分41秒
編集済
  「冬来たりなば、春遠からじ」。冬の入り口にあってこそ、浮かべるべき成句を、出口に浮かべるようでは、おっちょこちょいどころか馬鹿丸出しである。実際には出口でなく、すでに春が来ている。だから、「春めいて」、という言葉も適当ではない。それでは、どんな言葉が適当なのか。その答えは、この会話である。「この暖かさは、異常ですね」「そうですね。暖冬異変とも言えないですね」これは、互いが家最寄りの「半僧坊下バス停」で降りて、歩き始めたおりの挨拶がわりの会話である。互いに名も知らず、家の所在も知らない、ときおり出会う人との会話である。年恰好は、私とうっつかつ(似たりよったり)であろう。ところが、私と違うところは長身で、風貌にはいまだに若さを残されている。加えて会話には、優しさや人柄の良さがあふれてくる。女ならずとも、一目惚れしたくなるような紳士である。きのう(二月二十日・水曜日)の夕暮れ時の会話である。どうしたことか、今朝(二月二十一日・木曜日)の寝起きの私は、ひどい腰痛に見舞われている。今は痛くて、額に冷や汗が滲み出ている。気分は激痛を堪えることに集中し、そのためこの先の文章は書けそうにない。無断欠勤は免れたけれど、事情を記して早退である。文章の体をなさないから、おのずから「無題」である。ほぼ一時間苦しんで、書き添えます。激痛は収まりました。  

いよいよ「春がめぐってきた」

 投稿者:前田  投稿日:2019年 2月20日(水)06時10分58秒
  二月二十日(水曜日)の夜明け前にある。現在、心中に浮かべているのは、今さらながらに季節のめぐりへの驚きである。驚きにあっては、二つの相反する熟語を浮かべている。それは、同音異義の驚異と脅威である。きのう(二月十九日・火曜日)の私は、妻を茶の間に置き去りにして独り、いつもの大船(鎌倉市)の街へ買い物に出かけた。出かける前の私は、普段より着衣を一枚減らし、そのうえダウンコートに替えて、薄手のジャンパーを羽織った。それでも買い物めぐりの私は、早々と汗をかき始めた。それほどにきのうの鎌倉地方には、気温の高いポカポカ陽気が訪れていた。もちろん、汗をかいたからと言って、気分が悪くなるはずはない。いや実際のところは、いよいよ本格的な春の訪れを実感し、うれしさに浸りきっていた。その証しには、このときもまた冒頭の二つの熟語を浮かべて、歩いていた。もちろん私だけではなく、往来する人たちの身なりも薄くなり、街自体が暖かい陽気に染まっていた。私は、たっぷりと季節めぐりの恩恵を実感していた。それは言葉で表せば、まさしく季節のめぐりがもたらしていた、驚異と脅威だったのである。現在あっても、私はまったく寒さを感じない。二月は一週間余を残して、季節のめぐりの実感は、早手回しに待ちわびていた春の訪れにある。鎌倉地方は春近い二月になって、「まだまだ」とダメを押されるかのように、二度の雪降りに見舞われた。それでもやはりこの冬は、初冬からこの方暖冬異変と言えそうである。さて、「ひぐらしの記」は日々成り行き的にこんなことを書いて、十二年目をめぐっている。もちろん、もっとましなことで書き出したいけれど、わが能力の欠乏の証しに見舞われてそれは叶わない。この惨めな気分が救われているのは、大沢さまからたまわった「前田さん。何でもいいから書いてください!」というお言葉である。私はこのお言葉に甘え続けてきたけれど、だからと言ってこんなことで済まされるはずはない。しかしながら一方、生来の三日坊主を克服した満足感にはありつけている。だから、ほんの少しだけど独り、祝杯をかざしてもいいかな! という思いがある。もちろん、自惚れることのほどはない。しかしながら、ときにはわざとこんな思いをたずさえなければ、生来の三日坊主に継続はまったくあり得ない。わがお里の知れるところだけれど、お許しを願うものである。季節めぐりの恩恵にたっぷりとつかって、春らしい和んだ文章を望んだけれど、やはり叶わずじまいである。しかし、夜明けの早い春がめぐってきたことだけは、確かなことである。きょうの文章は、それに甘んじよう。そして、春の訪れに素直に、驚異と称賛をつのらせよう。今、記憶を新たにしているのは、かつての日本随筆家協会の亡き神尾久義編集長のお言葉である。それは、「前田さん。春になって、文章が書き易くなりましたね」という、お言葉である。恩師のお言葉ゆえ、信じよう。  

変容する日本社会

 投稿者:前田  投稿日:2019年 2月19日(火)05時30分31秒
編集済
  もはや、是非を言う段階はとっくに過ぎているようである。今朝は、目に留めた配信ニュースを記録に留め置くものである。【新入生49人のうち41人が外国籍 愛知の小学校】(2019年2月18日21時11分 朝日新聞デジタル)。知立東小学校の入り口にあった「ようこそ知立東小学校へ」の看板にはポルトガル語が添えられていた。「愛知県知立市の市立知立東小学校で、新年度の新入生49人中41人が外国籍になる見込みになった。市は同校で日本語指導などを担当するサポート教員を2人増やすことを決めた。知立東小は、ブラジル人など外国人住民が多い知立団地内にあり、1月現在の在校生308人中212人(68・8%)が日本語指導が必要な外国籍児童。新年度は外国籍新入生が8割を超え、国籍は12カ国に及ぶ。新入生の日本人児童は8人で、初めて1桁になる。知立市では、不登校やいじめ対応のため、1日4時間勤務の臨時講師として教員免許を持つサポート教員が小・中全10校に1人ずつ配置されていて、知立東小のみ2人増えて3人態勢になる。新年度予算案に増員分を含めた12人分の人件費2857万円を計上した。」一言添えれば、「壁を作る」と大叫びするアメリカ・トランプ大統領の声が無縁に思えなくなりつつある。そうであればこの際、世界から「戦争」という言葉や文字を死語に追いやるべきであろう。それが叶えばこれこそ、トランプ大統領の欲しがる「ノーベル平和賞」に値するであろう。わが買い物の街・大船(鎌倉市)でも、とみに外国人おとなの姿が増え続けている。どなたと出遭おうといくつかの異なる言葉で、「こんにちは」、と言えるくらいにはしておくべき時代なのかもしれない。いや、これまで出遭いに無頓着にこれた私は、良い時代に生きてきたのかもしれない。  

「山を成した、塵」

 投稿者:前田  投稿日:2019年 2月18日(月)05時44分1秒
  ほぼいつもの三時近くに起きて、一時間くらいメディアの伝える配信ニュースを読み漁った。さまざまな配信ニュース項目は、時々刻々と変わりゆく世の中の出来事の一覧表でもある。そしてその多くは、人の生きることのつらさを映している。確かに、人間は生きていると、何でもありである。しかし、その多くはつらいことばかりである。読み漁ったあとは脱力感に襲われて、長いあいだぼっとしていた。実際のところは気力喪失状態に陥り、その挙句には悶々として、いたずらに時が過ぎている。こんな状態では休めばいいけれど、しかし休んだら明日へ続きそうにない。このため、気分鎮めに久方ぶりにカウント数に目をやった。すると今現在、「91、300」、と表示されていた。大沢さまのお計らいでカウント数が表示され始めたのは、「ひぐらしの記」を書き始めてから、一年くらいたったあとからである。そのためその後の私は、表示のカウント数に10、000を加えて、日々カウント数の増えるのをひそかな楽しみにしていた。その証しには長いあいだ、日々のカウント数の推移をメモ帳に書き並べていた。ところが、その行為はもう何年も沙汰止みになり、カウント数はチラッとさえ見ないままになっていた。このことは、わが気力減退の明らかな証しだった。加えてこの頃は、カウント数はもう打ち止めになっているとも思っていた。正直なところは、自業自得の証しとも思えていた、カウント数を見ることを避けていたのであろう。このこともあって今の私は、実質100,000のカウント数の達成にびっくり仰天している。そして、手前味噌にみずからの偉業を祝福し、大っぴらに酔いしれている。もちろんカウント数は、大沢さまはじめご常連の人たちの足跡である。しかし、それにいくらか加わってみると、確かに10万を超えるカウント数は祝福するに値する。だから私は、パチパチと手を叩いて、しばし自惚れてみたくなっている。言うなれば、まったく思い及ばない数値の達成だった。勝手にわが身に置き換えれば、生来の三日坊主が成し得た「塵も積もれば山となる」という、成句の実現だったのである。そうであれば、生きることの喜びの一つに、カウントしてもよさそうである。こんなことを書くようでは、やはり休むべきだったのかもしれない。  

わが瞼の中の優しい父

 投稿者:前田  投稿日:2019年 2月17日(日)08時15分26秒
  受験シーズンは、中学入試、高校入試、そして大学入試へと進んで、ほぼ終盤戦にさしかかっている。これらにちなんで、わが入試の記憶がよみがえってくる。もちろん、入試にからめては心の和む想い出はほとんどなく、多くは苦々しいものばかりである。それらの中で唯一、心癒されるものがある。それはこの文章の最後段に記す、父にたいする切ない思い出である。小学校から中学校への進学は、同じ敷地内にあったふるさと・内田小学校から内田小学校への持ち上がりだった。どちらも、当時の内田村・村立ゆえに受験の必要はなかった。中学校から高校へは義務教育ではなく、おのずから厳しい入試が待ち受けていた。すなわち、十五の春の体験である。これを合格で克服するには、正規の授業を終えた放課後において、課外授業が設けられていた。もちろん、高校受験を希望する生徒のための特別の対策だった。高校進学を希望していた私は、当然のことながらそれを受けていた。ところが、実際には課外授業をほとんど受けず、部活のバレーボールの練習に明け暮れていた。内田中学校の生徒が進学を希望する普通高校は、選択の余地なく自宅から自転車通学ができる熊本県立鹿本高校にかぎられていた。学力的にそこに不安をおぼえる人は、同じ来民町内にある鹿本農業高校を受けていた。私立高校は近場になく、この二校に進む者だけが高校へ進学した。その数は同級生百十数余名の中で、二十名程度であったろう。昭和三十年代初めの当時は、高校へ進学する人はまだまだ限られていたのである。もちろん、合格の喜びはあったものの、高校入試にあってはさしたる思い出は浮かんでこない。高校生活の思い出は、これまた中学生時代から延長線上における部活のバレーボール一辺倒である。ところが、これにまつわる思い出は、必ずしも善き思い出とは言えない。放課後の練習は中学生時代とは比べようなく、厳しくそのうえ長い時間だった。日曜祭日とてなく、日暮れまで練習に明け暮れていた。疲れ果ててわが家へ向かって、明かりを点けて上り道の自転車のペダルを踏む日はざらにあった。もちろん、対外試合があればバスに乗って、はるばると遠い熊本市内へ出掛けていた。高校でも大学への進学を志す者には、進学組として課外授業が設けられていた。記憶は定かでないけれど、私も進学組に入っていたと思うけれど、課外授業の記憶はよみがえらない。おそらく、部活のせいで欠席ばかりしていたのであろう。一方では、課外授業を受けているクラスメートを傍目にみて、焦っていたはずである。これらのこともあって私は、部活に明け暮れる日々、すなわちバレーボールクラブに入ったことをかなり悔やんでいた。それでも、途中退部を申し出る勇気はなく、最後の三年生の秋まで全うした。そろそろ、大学進学かそれとも就職をするのか、決断の日が迫っていた。私自身は、決めかねていた。内心では、就職だろうと思っていた。そんなおり、姉や兄の言葉が一致し、こう告げられたのである。「大勢、きょうだいがいるんだから、ひとりくらい大学にやろうじゃないかね」。もちろん、そのひとりは私である。東京には二兄、三兄、そして四兄がそろって、八百屋を開いたばかりだった。三人は二兄の名前から一つをとって、「八百弘商店」(東京都下国分寺市内)の看板を上げて開店していた。この言葉を告げられて、わが大学入試の受験生活が始まったのである。それは課外授業や塾などまったく用無しの、下校後の夜中の勉強一辺倒だった。わが受験勉強には、父の愛、母の愛、長姉、長兄および義姉、そして東京で待ち受ける兄たちの愛情が詰まっていた。受験校は手っ取り早く、三人の兄が住む東京である。目指す大学は、従弟(いとこ)が通っていた中央大学と決めた。受験する学部もまったく同じで、法学部と商学部だった。受験のため一月末に上京するおりの父は、あいにくかねての心臓の病が篤く、父の床の周りには家族や近場の身内が陣取る危篤状態だった。私は受験に向かうかどうかを躊躇した。こんな言葉飛び交っていた。「おとっつあんがこんなときだから、しずよしは行かんがよかろうだい」「ばってん、行かんとみんな、悔いが残るばい」「おとっつあんは、しょんなかもんじゃけ、行くとええたい」「しずよし、はよ、行かんとまにあわんぞ!」私はあふれる涙を学生服の袖で拭きながら、何度も父の姿を振り返り、小走りに戸口元を出た。つらい、受験への上京だった。危篤の父は、幸いにもこのときは危機を出したという、知らせを得た。二つの受験は、法学部を落とし商学部に合格を得た。それでも私は、入試結果に十分満足していた。なぜなら、綱渡りと思える受験生活から得た、うれしい合格だったからである。合格の喜びをたずさえた私には、三人の兄たちからこんなご褒美の言葉を得たのである。「おとっつあんの病気のこともあるから、入学前にいっぺん帰ってきたがいいね!」私の気分はうれしくて弾んだ。私は心弾んで、「ただいま」と言って、戸口元から土間を小走りに走り、座敷の客間へ上がった。そこには、きょうだいで買い与えていた部厚いマットレスに半身を起こして、わが到着を待っていたやつれた父の姿があった。「とうちゃん、合格したよ!」と告げると、父は病で力の無い両手をいつまでも叩いていた。脳軟化症を患い、ボケが始まっていた父は、「おめでとう」の言葉をかけてくれたかどうかは、わが記憶にない。しかし、受験シーズンのこの時期にあっては、この光景がしょっちゅう浮かんでくる。もちろん、ほろ苦くも、甘酸っぱいでものではなく、とことんわが心を潤す清々しい光景である。このことを書きたくて、長々と走り書きをしたのである。こののち私は、入学のために再び父の姿を何度も振り返り、ふるさとをあとにした。わが、ふるさとから巣立ちのときである。父は、わが大学生二年の暮れ、昭和三十五年(1960年)十二月三十日に他界した(享年七十五)。しかし、八百弘商店の忙しさと書き入れ時でもあり、葬儀には四兄のみが代表で向かった。ところが、いまではこれが幸いし、父にたいする最後の思い出は、マットレスの上で半身を起こし、両手を叩き続けてくれていた優しい父の姿に凝縮している。三兄、四兄はすでに亡い。きょう(二月十七日・日曜日)は、先週に続いて国分寺へ行く予定である。父代わりに私を育ててくれたことにたいするお礼の表敬訪問である。  

春を産む苦しみ、雪降り

 投稿者:前田  投稿日:2019年 2月16日(土)06時08分26秒
  人間界には産みの苦しみという言葉がある。どうやらこの言葉は自然界、具体的には季節替わりにも存在しそうである。のほほんと有卦(うけ)に入っていた暖冬異変という言葉は、一月から二月へ月が替わると、打ち止めを食らっている。気象予報士の予報によればきょう(二月十六日・土曜日)は、気温が高く暖かくなると言う。なぜこんなことを書く羽目になっているかと言えば、一膳めし屋の日替わりメニューみたいに、日替わりの天候のせいである。きのう(二月十五日・金曜日)の鎌倉地方には、昼間に雪が降り出した。この光景を茶の間のソファにもたれて眺めていると、私は季節も春の産みの苦しみに喘いでいるな! と思った。確かにこの光景は、春がすんなりとは来ない証しだった。一方、春近しとも思える光景だった。雪は結構長いあいだ舞い続けて、にわかに視界を白く染めた。しかし、積もる恐れは感じなかった。横殴りに雪を蹴散らす、風も吹いていなかった。確かに、雪はひらひらと舞っていた。ところが雪片は、それぞれが空から地上へひとすじの直線を引くかのように、のどかにほぼ真下に降りていた。眺めている雪降り光景は、春の淡雪と言える程度のものだった。積もる恐れの無い雪降り光景は、私に和んだ気分をもたらした。もちろんこんなおり、外歩きでもしていたらこんな気分になれない。しかし、茶の間の私は、たっぷりとエアコンのフル稼働に恩恵に浸っていた。案の定、やがてはちょっぴり陽が射して、うたかたの雪景色を恵んだくらいで、積もることはなかった。それでもやはり、私は春を産みだす季節のもがきにびびっていた。幸いきょうは、気温高く暖かくなる予報である。しかし、夜明け前にあっては、いまだにきのうの雪降りの名残をとどめていているのか、暖かくなる兆しは感じない。しかし、暖冬異変に背いて過ぎ行く二月は、あと十日余りである。どうやら、きのうの雪降り光景は、寒波の打ち止めだったのかもしれない。寒がり屋の私は、心中で(パチパチ)と手を叩いている。  

受験生にまつわる格差

 投稿者:前田  投稿日:2019年 2月15日(金)06時59分35秒
  入試シーズン真っただ中だと、どうしてもこれにまつわることを何度も書きたくなる。確かに入試は、本人の努力なしには合格の結果はありえない。しかしながら下種の勘繰りをめぐらすと、努力では補えそうもないものがあまた存在する。それらをひっくるめてひと言で言えばそれは、受験生の身の回りに存在するさまざまな格差である。浮かぶままに書いてみると、これらのことである。まずは、先天的な知能や能力格差である。これこそ、どんなにもがいて努力しても、補えないものの筆頭と言えそうである。そうであれば後天的に、受験生の努力で補わなければならない。もちろんこのことで、かなり先天的格差を縮めることはできる。だからこそ受験生は、必死に長いあいだ努力を続けて、かつその苦闘に耐えることもできる。ところが、これには歴然とこんな格差が存在する。その最たるものは親のお金の有無、すなわち家庭の経済力格差である。このほか挙げればきりないけれど、こんな格差が浮かんでくる。大きくは住む都道府県、あるいは地区や地域における教育力格差がある。学校や教師の格差もある。これらを総合すれば、憲法に定められている教育の機会均等は、必ずしも叶えられているとは言えそうにない。確かに、これらの格差は昔から存在していた。いや昔は、もっとあからさまに存在していたのであろう。だからこそ、憲法に定められたと、理解するところはある。しかしながら私には、このところ格差が歪(いびつ)に顕在化しているように思えるものがある。具体的にこの傾向にとみに拍車をかけているのは、さまざまな入試スタイルの変化である。なかんずく、この先の入試において英語が重要視されるようになってから、この傾向はいっそう加速し始めている。こんなおり大学入試において、普段私が懸念していることの一つにたいし、はからずもこんな見出し項目に遭遇したのである。この見出しは、朝日新聞デジタルの有料記事によるもので、そのため無断借用のため、見出しだけに留めるものである。それでも、かねて私が懸念するところと、まったく一緒である。【富裕層や都市部が有利?英語民間試験「これでいいのか」】。きょう(二月十五日・金曜日)の文章は、この見出し項目に出遭って、得たりやおうとばかりに書きたくなったのである。しかしテーマは、奮闘する受験生にまつわるつらい格差の実態である。  

快い「バレンタインデー」

 投稿者:前田  投稿日:2019年 2月14日(木)07時17分32秒
  仕掛けたり、仕掛けられたりする商戦の中にあって、きょうの「バレンタインデー」(二月十四日・木曜日)は、双方共に罪作りを免れるところがある。バレンタインデーの商戦にあって仕掛ける方は、クリスマスや過ぎたばかりの節分商戦のケーキや恵方巻のように、売れ残りに頭を痛めるようなことはなさそうである。なぜなら、バレンタインデー商戦にあって主に売り込む品物は、日持ちのするチョコレート類や菓子類だからである。確かに、このところは、これらに代わる高価な品物も念入りに選ばれているようではある。もちろん、贈る側のこの心理は、傍(はた)が非難するにはあたらない。いや、格別の恋心を伝えるための、悲壮感ただよう品物選びなのであろう。そして、チョコレート類や菓子類以外の多くは、食べ物ではないようである。おのずから商戦を仕掛ける側にとっては、売れ残りに心を痛める度合いは少なさそうである。一方、仕掛けられる方は、早手回しに待ち望んでいたところもある。準備万端ととのえて、首長くして待ち望んでいた日と言えそうである。もし仮に、選んだ贈り物がわが願いを叶えず、恋心が藻屑のごとくはかなく消えても、思いを告げた満足感には浸ることができる。なぜなら、バレンタインデーにちなんでそそぐ恋心は、もとからそれほど執念深いものではなく、双方共に遊び心満載にすぎないところがある。実際にも贈る側の心情には、「義理チョコ」とも言われるように、端(はな)から恋心などまったく無縁のところがある。これらのことからバレンタインデーの商戦には、仕掛ける方にも仕掛けられるに方も、もとからあっけらかんとした遊び心がある。すなわち、バレンタインデーの商戦にかぎれば、双方共に罪作りの無いものと言えそうである。顧みて会社勤務時代の私は、バレンタインデーの出勤にあっては、ひそかに大きな紙袋をたずさえていた。そして、帰りにはチョコレート類や菓子類をいっぱい詰めて、恥ずかしさに追われて逃げ足で急いだ。紙袋が膨らんだのは、わが職場には多くの女性社員がいたためである。ホワイトデーにあってはこの逆の行為で、いち早く出勤し始業前にひそかに義理返しをした。バレンタインデーには、私は会社の人事配置の恩恵にたっぷりとありついていたのである。あたりまえのことだけれど、定年後にはこの恩恵はぷっつりと途絶えている。だからと言って、まったく寂しくはない。いやむしろ、義理チョコにまつわる面倒臭さが無くなり、清々しい気分横溢のところがある。もちろん、ない物ねだりの負け惜しみではない。いやいや本心では、たった一つの義理チョコさえ遠ざったことには、やはり心寂しいところがある。こんなおり、きのう(二月十三日・水曜日)の卓球クラブの練習にあって私は、義理チョコをたまわるひとりに選ばれたのである。渡部さんは手作りのチョコレートを綺麗なリボンで結んで、待ち構えてくださっていたのである。思いがけない、義理チョコの美味しい味覚だった。無縁に思えていたバレンタインデーに、私は渡部さんのご厚意でありついたのである。あからさまな義理チョコではあっても、お裾分けにさずかれば心弾むものである。私は、やはりバレンタインデーは大好きである。義理人情は、人の世になくてはならない心の癒しである。だから、飽くなき商戦とはいえ、バレンタインデーの商戦は、ほかよりひと味違って、私の好む商戦である。  

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