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  1. ぽろりっ(0)
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ふるさと産新米

 投稿者:前田  投稿日:2018年10月17日(水)07時04分35秒
  私にとって実りの秋の最頂点は、ふるさと産新米との出合である。昨晩(十月十六日・火曜日)、ふるさと産の新米が宅配人から担ぎ込まれた。面倒を掛けて送ってくれたのは甥っ子である。新米の時期にあってはふるさと産の購入を続けている。購入は一回にあたり三十キロである。これを二度と決めているから、年にはつごう六十キロ(一俵)である。一俵を食い尽くすのは六月初めの頃である。その先、ふるさと産の新米が出回る間は、こちらの市販のコメに切り替えている。その理由には二つある。一つは、夏の間のふるさと産には虫が付き易いためである。刈り入れてすぐに揉みずりをしたコメを保存する技術は、商売目当ての専門業者にふるさと産が敵(かな)うはずはない。もちろん、これは当然至極である。だから、甥っ子にたいし、「虫が付いたよ」などと、決して言いたくないための予防措置である。もう一つの理由は市販のコメであれば、九月初めには早々とどこかの新米が出回り始めてくる。ブランド米の早出し競争は、避けて通れないコメ生産者の宿命である。私の場合、九月初めの新米には、今一つ信頼を置けないところはある。それでも、「今年度産新米」という表示には、やはり気分ワクワクするところがある。もちろん、よそ物としても先駆けの新米は、ふるさと産につなぐにはありがたいものである。先駆けの市販の新米から比べれば、ふるさと産新米の宅配には、二か月余りの遅れを我慢しなければならない。ふるさとの稲仕納(いねじのう)は、(確かに、十月だった)と、今なおわが脳裏に焼きついている。ふるさと産新米は、ブランド米の競争場裏にはない。このため農家は、昔と変わらず季節のめぐりに合わせて、作付けと刈り入れを行っている。言うなればふるさと産新米は、農家の自然体の産物である。そのため、ふるさと産をこよなく愛し、それ一辺倒にすがろうと思えば、待ち遠しくても時期の遅れは我慢しなければならない。これまた、当然至極である。待てど、ふるさと産新米の宅配こそ、わが実りの秋の大団円(だいだんえん)である。ふるさと産新米の味覚には、コメ自体の美味しさだけではなく、かずかずの興趣が上乗せられてくる。もちろんそれらは郷愁であり人の温もりであり、かてて加えて、偲ばれてくる亡き人の姿である。早速、ふるさと電話をかけた。「コメ、今、届いたよ。いつも、面倒をかけるね。ありがとう。ふるさとが遠くならず、ほんとにありがたいよ。お金は、きょうの昼間に振り込んだからね」こののちは、余得のさまざまなふるさと話にありついた。ふるさと産新米が届くたびにありつける、わが至上の幸福である。  

くだらない、つぶやき

 投稿者:前田  投稿日:2018年10月16日(火)06時22分43秒
  十月十六日(火曜日)、秋の夜長は日々深まってゆく。その確かな証しは、夕暮れの早さと夜明けの遅さである。どちらも、私には味方している。具体的には「ひぐらしの記」の執筆に際して、気分的に余裕をもたらしている。特に夜明けが遅いことにあっては、格別その恩恵にさずかっている。なぜなら私は、文章は夜間から夜明けの頃までに書き上げることを習わしにしている。もちろん、わがもくろみは半分ほども実践できず、実際には絵に描いた餅さながらの状態にある。しかしながら、昼夜の時間の逆転にあっては、わが心理状態は様変わりとなる。すなわち、秋の夜長なお具体的には夜明けが遅いと、執筆時間に迫られる焦燥感は消失する。かてて加えて、夕暮れが早いとおのずから就寝も早くなる。このため、安眠とはいかなくとも、就寝時間はたっぷりととれる。そのため、目覚めの気分はよく、そのうえ執筆時間の切迫感も免れて、二兎が叶えられるのである。このことでは、秋の夜長は大歓迎である。ところが好事魔多し、この気分に通せんぼをするのは、夜長とともに強まりゆく寒気の到来である。もちろんこれには、どうもがいて抗(あらが)っても、抗いきれるものではない。結局、昼夜時間の違いの損得は、わがモチベーション(意欲・やる気)しだいに帰結する。こんなどうでもよいことをのんびりと書くことなど、夜明けの早い時期にはとうてい許されない。しかし、秋の夜長に恵まれ、のんびりと書いてようやく夜明けを迎えたのである。恥を忍んで尻切れトンボの文章を閉じて、落ち葉の季節の朝の道路へ向かうこととする。身勝手、かたじけない。  

怠け者

 投稿者:前田  投稿日:2018年10月15日(月)04時45分3秒
  きのう(十月十四日・日曜日)は、突然見舞われた寒気に気分が萎えて、そのことを理由に余儀なく文章を休んだ。季節は中秋の候ゆえに実際には、寒気はいまだ序の口である。それでも文章を休むほどに気分が萎えていたのは、のほほんとしていて心身共に、寒気への備えが緩んでいたせいであろう。それに懲りてきのうから私は、身は冬防寒重装備で包(くる)み、心は冬構えの状態に置いている。その甲斐あってきょう(十月十五日・月曜日)、現在(夜中の三時前)の私は、寒気をはねのけて気分の萎えを免れている。しかしながら気分は、完全回復までには至っていない。それは、長引いている鼻風邪のせいである。実際に悩まされていることは、常に鼻ムズムズ感に襲われている鼻炎症状である。老体の加速につれて身体の自然治癒力は、あからさまに衰退傾向を強めている。この傾向に抗(あらが)うにはもはや自力ではなし得ず、おのずから医師の診立てと技術、そして処方箋の薬剤にすがるしか術(すべ)はない。このためこのところの私には、効能を替えた薬剤が増え続けている。一旦、病医院へ出向けば医師の技術料だけでは収まらず、必然的に薬剤費がついてくる。そのたびに私は、月極めで多額の健康保険料を前払っているのに、なぜこんなに医療費がかかるのだろうかと、腑に落ちない思いに苛(さいな)まれている。確かに、病気を治すには、薬剤の服用は仕方のないところではある。しかし、丁寧に能書を読めば効能より、副作用の多さに慄然とするありさまである。すると、副作用を恐れるあまり、おのずから服用が途切れがちになる。それにようやく打ち克つのは、せっかく買ったのだから服まなきゃソンソン(損々)という、わがケチ臭い根性である。こんなことを繰り返しているから埒明かず、たかが鼻炎症状でも長引いているのであろう。ケチ根性は「身から出た錆」であり、「馬鹿じゃなかろか!」と、嘆息や自嘲さえ免れないわが性癖である。文章は一旦休むと、再始動には骨が折れるところがある。この文章は、明らかなその証しである。きのうはいまだに序の口の寒気に遭って、この先の文章の継続が思いやられていた。きょうは文章そのものに脅(おびや)かされて、この先の継続を危ぶんでいる。もちろん、鼻炎症状のせいではなく、わが「能タリン」のせいである。文章を書くには好都合の秋の夜長に心身を置いて、なさけなくもこんな体(てい)たらくぶりである。怠け者には罰(ばち)が当たる。人の世のならいである。  

横着なアオサギ

 投稿者:ふうたろうメール  投稿日:2018年10月14日(日)15時37分6秒
編集済
   今、正に取り入れの真っ盛りです。散歩中に稲刈り機の後ろに付いてゆくアオサギを見つけました。刈り取られる稲から飛び出すイナゴが目的だろうと思います。  
    (管理人 ) 実った黄金の稲田が一枚ずつ刈り取られて丸坊主になると、冷たい木枯らしが吹き荒れるようになる。散歩も今の季節が調度いい。稲刈り機の後をのんびりと付き従うアオサギの光景も、のどかである。地震や台風で荒らされたふうたろうさんの住まわれている大阪も、穏やかな収穫期を迎えているようですね。散歩途中に出会う珍風景がまた掲示板に登場することでしょう。楽しみです。  

寒さに負けた。なさけない

 投稿者:前田  投稿日:2018年10月14日(日)05時11分26秒
編集済
  十月十四日(日曜日)の夜明け前を迎えている。季節は中秋の候にある。急に寒くなり、冬布団を重ねていても、幾度となく目覚めを繰り返した。そのなかで堂々めぐりしたのは、起き出しを渋る思いだった。私は寒さに負けたのである。それでも勇を鼓して、ほぼいつもの時間に起き出してきた。しかし、寒さで気分はすっかり萎えている。寒さに極端に弱虫の私は、安易な道を選んだ。いや、選んだというより逃げ込んだ。すなわち、サラリーマン時代の日曜日にあやかり、文章書きの休養を決め込んだのである。秋の夜長は、夜明け前にもかかわらず深々と冷えている。好季節の中秋にあってもこんなに弱虫では、この先のわが身、わが気概が思いやられるところである。ああー、なさけない!  

新聞社(新聞)の危機

 投稿者:前田  投稿日:2018年10月13日(土)06時35分47秒
  きのう(十月十二日・金曜日)、ふと、こんな思いがよぎった。それは、新聞紙上におけるカタカナ文字や略式文字の多さにかかわっている。すなわち、この頃の新聞は、みずからを含めてお年寄や、読み慣れていない人たちには、いっそう読みづらくなっているだろう? という思いだった。もちろんそれらのほか、紙上には外国語(英字)の短縮文字も多く入り混じっている。インターネット時代になって、やむを得ずであろうか? この傾向は、ますます深まりつつある。スマホをはじめSNSが隆盛をきわめる中にあって、若い人たちの新聞離れはもはや旧聞に成り下がっている。これに加えて、お年寄りたちが余儀なく新聞離れをすれば、おのずから新聞の購読者は減るばかりである。このため、新聞社は受難の時の最中にある。それを防ぐための一考であろうか? わが下種の勘繰りをめぐらすと、このところの新聞は、やたらとページ数が増え続けている傾向にある。ところが本末転倒、馬鹿じゃなかろか? これまた新聞離れを誘引することとなる。なぜなら、新聞を読み慣れた人ではあっても、一日中かつ一心不乱に読み続けても、ふるさと言葉で言えば「読み熟(こな)さん」(読み切れない)状態にある。私の場合、新聞は子どもの頃から慣れ親しんで読み続けている。かてて加えて、英字を含めて語彙には比較的関心を持ち続けてきた。それでもなお私は、六十(歳)の手習いとはいえ、語彙の忘却防止と新たな出合いを求めて、語彙の習得を生涯学習に据えている。これらのことをかんがみれば、もちろん自惚れるほどではないけれど、私は新聞を読み慣れている部類に入るであろう。そうであってもこの頃の私は、夙(つと)に読みづらさをつのらせている。その理由の多くは、冒頭のカタカナ文字や英字の多さである。ところが、そう書きながら私は、すでにこの文章の中にあっても、「スマホをはじめSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)」と、書いている。もちろんそれは、たまたまこの語彙(言葉)を知っていたからにほかならない。しかしながらもはや私は、新聞紙上に現れるカタカナ文字や英字の短縮文字の多くに手を焼きつつある。そのうえパソコンを起ち上げて、メディア(新聞等)の伝える配信ニュースを読み漁れば、朝夙(あさまだき)配達の朝刊さえ、すでに旧聞さながらにある。おのずから新聞の役割は、変貌かつ変質している。言うなれば「ニュースペーパー(新聞)」としての役割と価値は、劣化を続けている。私はかたわらの妻にたいし、「テレビの言葉で、わからないのが増えているだろうね」と、尋ねた。すると、妻はあっさりと兜を脱いで、「そうね!」と、言った。私は救済の言葉を繋いだ。「おまえだけじゃないよ。特に、この頃の新聞は読みづらくなっているよ。テレビはまだ絵や写真と同時進行だからわかるところある。だけど、新聞は読み慣れていない人には、とても読みづらくなっている。だから、多くの人はもう読んでいないはずだよ。おれは、ニュースはパソコンで読んでいるから、新聞を取るのをやめたいよ。おまえは読まないし、やめてもいいだろう?…」妻の返答には、しばし沈黙が続いた。「パパ。新聞くらいとりなさいよ。みっともないわ!」新聞社は、かろうじて妻の言葉に救われている。わが年代がこの世から消え去れば、新聞社(新聞)には、本当の危機が訪れるであろう。これまた、尽きない老婆心である。  

「去る者、来る者」人間模様

 投稿者:前田  投稿日:2018年10月12日(金)06時15分5秒
  またまた、わがファンとする阪神タイガースのことを書く羽目になった。突如、予期していなかった金本監督が辞意を表明されたからである。セ・パ両リーグには、それぞれ6球団がある。そのうち、今のところセ・リーグでは3人、パ・リーグでは2人の監督交代が公表されている。プロ野球にかぎらず勝負の世界は、「勝てば官軍、負ければ賊軍」の習わしにある。そして、敗軍を率いる監督や指導者は、語らず突如として退陣の憂き目に遭遇する。退陣の多くは、みずから身を退く潔い辞意表明である。しかしながら本当のところは、辞めたくなくてもさまざまなプレッシャーに負けて、辞めざるを得ないのであろう。このことでは、辞めてゆく監督に同情するところである。ところがこの時期のプロ野球は、監督交代にかぎらず栄枯盛衰の人間模様の真っただ中にある。好成績をともなって栄える選手は、来シーズンの年俸アップに夢を繋ぐ時期にある。一方、成績が振るわなかった選手には、戦力外通告という解雇の嵐が吹き荒れている。確かに、プロ野球球団は企業体である。企業体であれば、意地を為して存続を続ける宿命にある。具体的には野放図に選手を抱えることはできず、おのずから定員管理がほどこされている。もちろん、真っ先にこの煽りを食うのは、成績が振るわなかった選手たちである。その証しにこの時期には、各球団ともあからさまに選手の入れ替えに腐心している。実際には戦力外通告で定員枠を余したところに、有望選手の取り合いをして新たな新人選手を嵌め込むのである。戦力外通告に甘んじた選手にすれば、どうもがいても逆らえない企業道理である。戦力外通告は、去る者は追わずというにはあまりにも寂しくかつ厳しい掟(おきて)である。一方、籤当てしてまでも来る者は拒まずいう祭典は、文字どおり賑々(にぎにぎ)しく華やかに行われる。新人選手選びの祭典とは、そのものずばり「新人選択会議(ドラフト会議)」であり、この10月25日に予定されている。確かに、企業であれば定員の入れ替えは宿命である。しかしながら来る者は別として、メディアを通して去る者の名が公表されることには、いっそう侘しさつのるものがある。華やかな世界に身を置いた者の宿命とはいえ、これまた同情するところである。秋は、こころ寂しい季節である。  

「豊洲新市場」門出

 投稿者:前田  投稿日:2018年10月11日(木)04時50分16秒
  私日記風にほぼ毎日「ひぐらしの記」を書いていると、いやおうなく記録として残しておくべき国内外社会の出来事に遭遇する。それらの多くは、メディア報道として伝えられてくる。そして、インターネッ社会になって以来、それらの報道はリアルタイム(同時性)のスピードを持って伝えられてくる。きょう(10月11日・木曜日)の私は、多くかつさまざまなメディアの配信ニュースの中から下記のニュースを、ひぐらしの記への引用を試みている。なぜならそれは、喧々諤々の是非の論争のうえ、長いあいだたな晒しになっていた「豊洲新市場」の華やかな門出の日だからである。【「豊洲市場」開場 予定より2年遅れて】(10/11・木曜日1:32配信 日テレNEWS24・NNN)。「東京都の新しい中央卸売市場、豊洲市場が、11日に開場した。当初の予定からは2年遅れのスタート。江東区にある豊洲新市場は、11日午前0時に開場した。豊洲市場は、築地市場から2.3キロ離れた臨海部に位置し、広さは築地市場の1.7倍となる40ヘクタール、閉鎖型の建物で、東京都は、魚の鮮度を保つための温度管理や衛生管理ができるのが特徴だと説明している。豊洲市場への移転は、地下の土壌汚染問題で予定より2年遅れた。今月6日、築地市場が営業を終え、各業者は急ピッチで引っ越し作業を行った。11日の午前5時半ごろには、初めてのマグロのセリが行われる予定で、『日本の台所』と呼ばれた築地市場の伝統や文化を継承し、新たな『豊洲ブランド』の確立を目指すが、交通渋滞などの課題も指摘されている。」記事によれば午前0時に開場し、午前5時半頃には初めてのマグロのセリが行われるという。現在壁時計の針は、午前4時半過ぎを回っている。初セリの掛け声はまもなくである。お祝い気分で、きょうのマグロは高値となりそうである。いずれにしても、「めでたし、めでたし」の豊洲新市場の門出である。日本社会は、久しぶりにお祝い気分横溢である。  

好季節が恵んだ「人情劇」

 投稿者:前田  投稿日:2018年10月10日(水)07時26分27秒
  10月10日(水曜日)、かつてはこの日が「体育の日」だった。ところが、現在は平成12年(2000年)のハッピーマンデー法施行以来、10月の第2月曜日に移行している。移行以来、かなりの年月が経つので、もう馴染んでもいいはずだが、いまだにいっこうに馴染めない。体育の日にかぎらず国民祝日は、やはり一定日のほうが馴染みやすくてしっくりくる。ハッピーマンデー法の長短をなすところである。ところが、この名称も2020年(東京オリンピックおよびパラリンピック)からは、「スポーツの日」へ変わるようである。さ迷える体育の日と、言えそうである。体育の日にちなんで、懐かしく想起されてくるのは学び舎の運動会である。現在の私は、運動会とは無縁に成り下がっている。わずかに命脈を保っているのは、孫のあおば(小学5年生・11歳)の運動会である。ところが、いまだにお呼びがかからない。日本社会のご多分にもれず児童数の減少傾向にあって、どこかしこ学校事情は様変わりを続けている。もちろん運動会は、体育の日やその前後にかぎることでもない。そのため、よもや中止ではなく、この先にお呼びがかかるのかもしれない。季節的に、体育の日あたりは中秋の候である。体育の日が過ぎれば秋は、晩秋から初冬へ向かって深まってゆく。おのずから季節は、寒気を強めてゆく。だから私には、暑さを遠退けた彼岸から寒気が近づくこのあたりが、秋の中でも最も好む好季節である。きのう(10月9日・火曜日)のわが家には、思いがけない電話が入った。電話をくださったのは、卓球クラブのかつてのお仲間である佐藤様だった。同時に佐藤様には、長いあいだ「ひぐらしの記」(単行本)の愛読をたまわっていた。ところが、佐藤様は体調を損(そこ)なわれ余儀なく退会され、つれてひぐらしの記の愛読も沙汰止みになったのである。かてて加えてこれを境に、親しかった御縁も遠のき始めていた。佐藤様は、わが年齢(78歳)とおっつかつの貴婦人である。受話器は妻が手にした。しばし、妻の明るい声が続いていた。そののち、「主人に代わりますから…」と言って、妻から受話器が手渡された。久しぶりの電話で、わが気分は弾んでいた。用件は「前田さん。柿を捥(も)いでいただけないかしら?」と、早や合点した。私は「午後に伺いますから…」と、言って電話を終えた。柿千切りは妻との共同作業である。私が長い柄の剪定鋏で落とすのを妻は、下で雨傘を仰向けに広げて柿の落下を待っている。のどかに秋の陽射しがふりそそぐ昼下がり、私と妻は準備万端柿千切りの用意をととのえて、佐藤様宅へ出向いた。久しぶりにお会いした佐藤様は、明るい笑顔で出迎えてくださった。明るんだ柿が、陽射しに照らされてたわわに生っていた。私は、心中(全部千切るには、自分では手に負えないな!)と、思った。それでも私は、引き受けたからには全部千切らなければならないと、覚悟した。剪定鋏を木鋏に持ち換えて、まずは手の届くところから千切り始めた。すぐに、大きな発砲スチロールの箱にいっぱいになった。ところが途中、妻が「パパ。もう、穫らなくていいそうよ」と、呼びかけた。「なんで? これから全部、穫るんだよ!」「佐藤様が、『もう穫らなくていいわ!』と、おっしゃっているわよ」「なんで? 全部千切りに来たんだろう…」「まだ、5人ほど捥いでくださる人がいるそうよ」「そうか…」私は腑に落ちない面持ちで、柿千切りを止めた。佐藤様が「前田さん。柿を捥いでくださらない?…」と呼びかけられたのは、佐藤様の優しさの証しだったのである。すなわち、柿好きの私と妻にたいする、格別のお心くばりだったのである。私と妻は千切った柿を一つも残さずリュックとレジ袋に詰めて、わが家へ引き返した。振り返ると佐藤様は、二人の背中をたたずんで見送られていた。好季節にあって突然、ふってわいた人情劇の一コマである。  

屈辱の「体育の日」

 投稿者:前田  投稿日:2018年10月 9日(火)00時54分27秒
  過日、私は「ビリになりそう」と、書いた。案の定、阪神タイガースはビリになった。あまりの不甲斐ない戦いぶりに、悔しさはとうに消えていた。だから、最下位確定であっても、一粒の涙も出ない。もちろん、私自身がしらけいっているからである。しかし、タイガースファンとしては、かぎりない屈辱ではあっても、記録に残しておこうと決意した。わが生存中にあって、今シーズンの屈辱を果たすことなど、もちろん「夢、ユメ、ゆめ」のまぼろしである。【阪神がノムさん以来17年ぶり最下位、対燕10連敗】(10/8・月曜日 20:56配信)(日刊スポーツ)。<ヤクルト6-5阪神>◇8日◇神宮。「阪神がヤクルトに敗れ、野村監督の率いた01年以来、17年ぶりの最下位が確定した。前夜、金本監督就任以降ワースト更新となる77敗目を喫したばかりだが、この日もヤクルトに序盤、大量6点を奪われ、後半追い上げたものの悪夢の10連敗で78敗目。借金も今季最多を更新する『18』にまで膨れあがった。先発才木が誤算だった。ヤクルトの初回、雄平に2点適時二塁打。2回には坂口の適時三塁打、バレンティンにも38号3ランを浴び、2回6失点でKOされた。阪神は5回に二ゴロ併殺が崩れ、ヤクルト遊撃・西浦が一塁悪送球の間に1点を返した。5点を追う阪神は8回に打線が爆発。5番大山の左前適時打、6番陽川の中越え二塁打、7番梅野の右前適時打と続き、一挙4点を奪い1点差と詰め寄った。1点ビハインドで迎えた阪神は、ヤクルトの守護神石山に3者凡退で勝利に届かず、屈辱の『10月8日・「体育の日」(振替休日・月曜日)』となった。」こんななさけないことを私は、日が替わったばかりの10月9日(火曜日)の真夜中、12時過ぎに書いている。ほとほと、馬鹿じゃなかろか! もちろん、弱い阪神タイガースのせいである。  

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