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年の瀬の母の姿

 投稿者:前田  投稿日:2018年12月19日(水)06時01分10秒
  十二月十九日(水曜日)、夜長もいよいよカウントダウン少なく、「冬至」(十二月二十二日)に向けて、残りは四日にすぎない。その先は「天皇誕生日」(十二月二十三日・日曜日)を挟んで、振替休日(十二月二十四日・月曜日)に向けての三連休となる。こんなあたりまえのことを書いたのは、三連休が明けると大晦日や来年(平成三十一年・2019年)の元旦がごく近くなるからである。これまた、きのう(十二月十八日・火曜日)の文章に続いて、年の瀬の感傷と言えるのかもしれない。年の瀬にあっては、なぜか? やけに日めくりにとらわれるところがある。そしてこれには、常に多忙という焦燥感がつきまとっている。今の私には、実際には心忙(せわ)しい用件はなにひとつない。それでも焦燥感に急(せ)き立てられるのは、年の瀬に根づいている心象風景のせいであろうか。具体的には、わが子どもの頃に見ていたこんな光景がもたらしている。父や母はもとより兄たちは、年の瀬になると例月に比べていっそう忙(せわ)しなく働いていた。この光景がトラウマ(心的外傷)さながらとなり、なんらの用件なくても私に焦燥感を招くのであろう。当時のわが家の生業(なりわい)は、三段百姓に兼ねて精米業を営んでいた。いや、実際のところは逆に、精米業を主にして三段百姓を兼ねていたのかもしれない。年の瀬にあって農作業は、一年の中でも最も閑(ひま)なときである。それでも家族は、年の瀬には忙しなく働いていた。この忙しなさをもたらしていたのは、精米業だったのである。精米や製粉の器機類は、母屋の中の土間に据えられていた。言うなれば母屋は、作業場付きの住まいだったのである。そのため、不断から住まい、すなわち座敷などのいたるところに粉塵が舞っていた。板張りなど、歩けば綺麗に足型がついていた。このこともあってわが家の場合、年の瀬の大掃除は他家(よそ)とは違って、格別大事で大きな仕事だった。すると母は、その中心を担っていたのである。不断の母は、家政に加えて精米業の内的仕事の一切を任されていた。このため母は、まるでコマネズミさながらに、母屋の内外(うちそと)を忙しく走り回っていた。さらに年の瀬の母には、年の瀬特有の仕事が加わっていた。それは迎春(正月)準備である。具体的には、大掃除、餅つきにかかわる準備、餅つき、丸餅づくり、お供えの飾り餅、元旦に家族のために用意する新品の肌着や杉下駄の買い物などがあった。もちろん母は、雑煮(具)の準備にも心をくだいていた。結局、わが年の瀬の忙しなさや焦燥感は、当時の母の年の瀬姿に由来していると言えそうである。しかしながら、忙しなく走り回る母の姿を偲べば、快い焦燥感と言えなくもない。実際、今の私は、母の面影を浮かべて快い焦燥感に浸っている。  

平成三十年、年の瀬の感傷

 投稿者:前田  投稿日:2018年12月18日(火)05時46分15秒
編集済
  今年・平成三十年(2018年)は、あと二週間も残さず、年の瀬を流れて行く。時のめぐりにあって、平成という年号(元号)を記すのは、すでに半年を切っている。だから、例年の年の瀬とは異なり、私には切切感つのるところがある。来年(2019年)の五月一日には新天皇陛下が即位される。このため、この日から新たな元号となることが公表されている。ところが、元号そのものは現在まで未発表のままである。そのため、現在の日本国民は、新元号の公表に大きな関心を寄せている。新元号の制定にあっては、元号自体に不要論を唱える人たちがいた。元号制制定の是非をたたかわす論駁(ろんばく)はもはや消えたが、いっとき日本社会を賑わした。結局、元号不要論は退けられて、これまでの慣行どおりに存続で決着した。わが私見を添えれば、私は元号存続の賛成派である。その理由の一つは、日本社会における歴史的慣行である。もっと端的には、歴史の区切りとして元号の存在を認めているからである。逆に言えば、西暦表示だけでは歴史観を損(そこ)ないそうだからである。年号不要論者は、二重表記の煩わしさやグローバルの世に逆行すると言う。確かにこの先の世界には、現在よりいっそうIT(情報技術)やSNS(ソーシャル ネットワーキング サービス)など、コンピュータ技術の進化や旺盛が予測されている。こういう時代傾向の中にあって、日本社会が煩わしい元号に固執するのは、それらの進行の妨(さまた)げになるとも言う。もちろん二重表記は面倒であるし、そのためその言い分には一理ある。加えて、天皇制にまつわる人それぞれの思想(考察)も起因しているのであろう。しかしながらデジタル社会、すなわちなにもかもが効率一辺倒の社会は、必ずしも是とはかぎらない。まして日本社会であれば、古来の元号制度まで失くすことはないであろう。浅はかなわが私見である。昭和生まれのわが感傷であろうか。長い夜をもてあますゆえの妄想であろうか。平成三十年は数々の感傷をたずさえて、時々刻々と早瀬のごとく年の瀬を流れている。  

娘と孫娘に、引かれて…

 投稿者:前田  投稿日:2018年12月17日(月)06時22分9秒
編集済
  きのう(十二月十六日・日曜日)は、誘われていくらか遠出した。誘ったのは娘と孫娘(小学五年生・十一歳)である。妻も同行した。行き先は、夜の「江ノ島」(神奈川県藤沢市)である。誘った理由は、江ノ島のイルミネーション見物だった。見物コースをめぐりながら孫娘に尋ねると、「ここは、神奈川県一番のイルミネーション」、と言う。もはや、県内事情なかでも近場の観光スポットの最近事情さえ、孫娘に後塵を拝し教えにさずかった。イルミネーションは、夜の人工的輝きである。このため、娘たちと待ち合わせたのは夕方の五時十五分。夕方とは言っても昼間の短いこの時期は、すっかり暮れて夜のたたずまいだった。待ち合わせ場所は、JR大船駅改札口(鎌倉市)。ほぼきっかりの時間に出会えた。一路、江ノ島へ向かった。駅ビル「ルミネ」の中を通り出て、「湘南モノレール」へ向かった。このモノレールは大船駅始発、終着駅「片瀬江ノ島」である。モノレール特有に、車両は小さく連結も短い。それでも日曜日の夕方とあって、観光地へ向かう車内はがら空きだった。寒さの厳しいこの時期かつこの時間、わざわざイルミネーション見物に出かける人はいないはずである。ところが江ノ島へ着くと、これはわが早とちりとわかった。なぜなら、往来する多くの人出に遭遇した。それらの中には昼間からの居残りではなく、イルミネーション目当てに向かうらしい人も大勢いた。しかし、華やぐ声はカップルや若者連ればかりで、わが夫婦の姿は街灯の中では異物だった。娘と孫娘の誘導尋問に乗った、気乗りのしないイルミネーション見物は、歩きながら恨めしく思えていた。夜の片瀬の海をまたぎ長く架かる橋をようやく渡り切り、江ノ島へ着いた。江ノ島は、観光の島である。特にこの時期の江ノ島は、イルミネーション見物を当て込む観光の島になりきっていた。商魂とは恐ろしいもので、エスカレータを四度も乗り換えてののぼるほどの島は、人の手すなわち人工のイルミネーションで張りめぐらされていた。これこそ、正真正銘の「夢の島」の輝きだった。展望台へのぼるには、整理に汗だくの係員から「60分」待ちと、告げられた。それでも娘たちは、怯(ひる)むことなく行列の最後尾に並んだ。仕方なくわが夫婦も並んだ。最後尾はすぐに後続人達に譲った。結果良し。まるで、牛に引かれた善光寺参りさながらの江ノ島・イルミネーション見物だった。もちろん、イルミネーションの輝きに堪能した。しかし私はそれを超えて、島全体をイルミネーションで覆った人間技に驚嘆していたのである。江ノ島のイルミネーション見物を終えると、帰途に就いた。島の平地へ下りると、思いがけなく娘の連れ合いがマイカーを停めていた。それに乗車し、途中ファミレスで夕食を摂った。わが家へ送り届けてもらったときは十時近く、娘たちが横須賀市内のわが家へたどりついたのは、十一時頃だったであろう。私は旅の疲れでぐっすり眠った。目覚めて、こんな書き殴り文を書いたのである。推敲する時間もない。またもや、かたじけない。  

木枯らし

 投稿者:前田  投稿日:2018年12月16日(日)06時22分21秒
編集済
  十二月十六日(日曜日)、冬本来の寒さへ戻っている。それまで、暖かい冬に身を置いていたぶん、余計寒さが身に沁みている。昼間の場合、冬の寒さを増幅させる自然界現象は、冷たい木枯らしである。今さら学習することもないけれど、木枯らしとは風である。電子辞書を開いてみる。「こがらし(木枯らし・凩」:(木を吹き枯らす意)。「秋から初冬にかけて吹く、強く冷たい風」。木を吹き枯らすほどに冷たい風であれば、わが身が震えるのはあたりまえである。このことは気象庁から受け売りですでに書いたけれど、「木枯らし一号」の吹く時季にあって、東京には吹かなかったという。まさしく、この秋から初冬にかけての稀に見る自然界の異常気象である。このことが本格的な冬の季節になっても、暖かい冬をもたらしていたのであろう。ところがこのところの鎌倉地方は、後れてやって来た木枯らし一号現象に見舞われて、冷たい風に吹き晒されている。このところのほぼ一週間にかぎれば、冬特有の寒い北風が吹き荒れている。そのため、暖かい冬を貪(むさぼ)り落ち遅れていた山の枯葉は、この一週間で一気に後れを取り戻している。落ち葉の遅さにたいし、前半は気分を良くし、後半は気を揉んでいた。あえて、気分の良し悪しの理由を記すとこうである。実際、前半は道路上に落ち葉が少ないことで気分を良くし、そして後半はそれが気を揉む誘因になっていた。例年、落ち葉の打ち止めはほぼ大晦日である。すなわち、わが早朝の道路の掃除を強いられるのは、おおむね大晦日まである。しかし、落ち葉が後れていたから、年明けまでの懸念となっていた。ところがその懸念は、一掃されたのである。懸念を除いたのは、後れてやってきた木枯らしである。きのう(十二月十五日・土曜日)の昼間、私は卓球クラブの練習に出かけた。その往復のわが身は、木枯らしに晒されていた。身に沁みる寒さだった。一方で私は、寒さを我慢した。なぜなら、吹きすさぶ木枯しは、落ち葉の打ち止めを例年どおりに大晦日と、予感づけたのである。木枯らしは、年を越えてなお先へ延びそうに思えていた早朝の道路の掃除を、例年どおりに大晦日までで打ち止めにしそうである。今や、予感は確信になりつつある。木枯らし吹きすさぶなかで私は、「塞翁が馬」の故事を浮かべていた。また、電子辞書を開いてみる。【塞翁が馬】(淮南子・人間訓)。「塞翁の馬が逃げたが、北方の駿馬を率いて戻って来た。喜んでその馬に乗った息子は落馬して足を折ったが、ために戦士とならず命長らえたという故事。人生は吉凶・禍福が予測できないことのたとえ」。妙なことを浮かべたものである。もっと、適切な故事成句があるはずなのに、私にはそれらが浮かぶ能力はない。木枯らしが身に沁みた。  

夜長のお茶濁し文

 投稿者:前田  投稿日:2018年12月15日(土)05時51分54秒
  十二月十五日(土曜日)、年の瀬も半ばを迎えている。さしたる用事もなく今年が日々暮れていく。もちろん、用事があっては困る。なぜなら、もはや良い用事があることはなく、ふるさと電話に日々恐々とするばかりである。ふるさとの長兄は先月(十一月二十七日)、九十二歳の誕生日を迎えている。東京都下国分寺市に住む次兄は八十七歳である。父親代わりの二人の兄のことばかりでなく、わが年齢とて七十八歳である。加えて、妻をはじめ身内の多くはこの周辺の年齢である。このため、この頃の私は、つくづく「便りがないのは良い便り」という、人生訓を実感している。だから、野暮用にかぎらず用事がないのは、幸運と言うべきであろう。一方でこの幸運には、ひしひしと消費期限が迫っている。そのため私は、表向きの用事はないけれど、内心では始終あわただしく、びくびくしながら暮らしている。書くテーマもなく、ふと胸中に浮かんだことを臆面もなく吐露してしまった。まことに恥じ入ることだけれど、現在の素直なわが心境の吐露である。わが日常生活にあって、唯一用事と言えるものには、大船(鎌倉市)の街への買い出しがある。買い出しには戦時中の買い出し姿さながらに、幅広の背中さえ隠れるほどの大きなリュックを背負っている。それなのに帰宅時は、なおレジ袋に詰めた買い物の両手提げ姿である。(なんで、いつもこんなに買い物があるのだろう?)と、苦々しく自問する。そのうえこの自問には、(夫婦二人だけの生活なのに…)という、思いが重なっている。すると、自問にたいする自答は、わが夫婦が果物好きだからだろうと、落ちが着く。なぜなら、果物は嵩張るだけではなく重たくて、大きなリュックの大半を埋め尽くすことになる。初秋から中秋にかけては栗三昧だった。実際のところは栗団子三昧だった。栗の季節が終わると、こんどは出回り始めた柿と蜜柑に買いの手が伸びた。柿は次郎柿から富有柿三昧だった。このところの掲示板には、『流星群』の文章を発端にして、「禅寺丸柿物語」が話題となっている。日本人であれば柿は、おおむね万民が好む果物である。そのため柿の話題は、尾ひれをつけて楽しく人様の口の端へ渡ってゆく。その柿も現在は、生柿の最後に出回る富有柿の姿は細り、売り場は干し柿(吊るし柿)へと移行している。柿は、甘柿と渋柿に大別される。そして干し柿は、渋柿に手を焼いた人間の知恵なのであろう。おのずからこの先のわが買い物の手は、干し柿へと様変わってゆく。次郎柿や富有柿、すなわち生柿が売り場から影を潜め始めると、買いの手はもっぱら蜜柑一辺倒になる。蜜柑は温州ミカンを皮切りに、さまざまに形(品種)を変えて、柑橘類として春先までわが買いの手が引っ込むことはない。これらに加えてわが夫婦は、同時並行に嵩張るバナナ、重たい林檎も大好物である。結局、嘆くにはあたらないわが買い物の頻度と買い出し姿は、自業自得というより、わが納得ずく行為である。休めばよかったのかもしれない。ネタ不足で、書くまでもないことを書いて結文とする。かたじけない。夜長も残り一週間である。

 

世相の話題から

 投稿者:前田  投稿日:2018年12月14日(金)06時57分6秒
  十二月十四日(金曜日)、年の瀬も半ばを過ぎて河口の大晦日へと向かっている。往生をきわめていた落ち葉は、ようやく細りかけている。これは、わが身にたまわる唯一の年の瀬の恵みである。こんなおり、胸中にはメディアの伝えるこのところの日本社会の話題が浮かんでいる。だから、日本社会の様変わりぶりを示す証しとして、是非の論評なしに記し置くものである。いや、少しばかりは当てずっぽうに、わが下種の勘繰りを添えるものである。この時期、明けても暮れても落ち葉に難渋する道路の掃除のことを書いてきた。それゆえ、柄になくたまには世相のこともいいかなと、思う。いや、日本国民であれば本当のところは、しょっちゅう日本社会の出来事を俯瞰し、その是非を書くべきであろう。しかしながら私には、そんな能力は芥子粒ほどにもない。一つは東京医科大の入試不正を発端として、芋づる式にかつ鬼の首を取ったかのように、相次いで伝えられてくる私立大学医学部の入試にからむ不正報道である。確かに、合否段階における受験者差別は、大小にかかわらず言語道断である。そのため、正義の剣(つるぎ)をひけらかすメディアには、格好の叩き潰すべき反社会的行為なのであろう。しかし、私にすれば今さらという観がある。なぜなら、私立大学ゆえに過去から内々には行われていたことであろう。そして日本社会は、知って知らんぷりを装っていたことにすぎないことでもあろう。確かに、このたびの入試不正は単なるコネ入学ではなく、正規の規則を意図的に曲げての差別入試である。もちろん、このことではとことん糾弾されるべきことである。しかしながらこの頃の報道には、親の母校だからその子どもを優遇したとかまで、記事にさらされている。言うなれば、事の大小を問わずいっしょくたにの報道へと成り下がっている。すなわち、私立大学であれば医学部にかぎらずコネにかかわる不正入学は、これまでも見て見ぬふりを決め込んでいたところがあった。これまでであれば半面、嘆かわしくも社会的常識としてまかり通っていたことでもある。このことではこれらの報道も、これまでの日本社会の悪の常識の浄化の一端くらいはあるのかもしれない。また、このところの国政から盛んに報じられているニュースには、教師と医師の働き方、より具体的には働く時間のことがある。かつての教師と医師は聖職者として君臨し、日本国民に気高く崇(あが)められてきた。それゆえに日本国民は、これらの職業に就く人たちの働き方、実際には働く時間には意を留めずきた。しかしながらもはや、働く時間の長さとそれゆえの過酷な労働実態は、聖職者の領域を超えているのであろう。結局、国政の議論は、聖職者が一様に労働者へと様変わる証しの鬩(せめ)ぎ合いの過程であろう。私には、前者すなわち私立大学医学部、そして後者すなわち教師と医師の働き方、いずれにも論評し得る能力はない。ただ、腑に落ちない思いはたずさえている。夜が薄く明けて、落ち葉を掃く時間の到来である。  

「流星群 第40号」は、20年「記念号」

 投稿者:前田  投稿日:2018年12月13日(木)05時58分38秒
  きのう(十二月十二日・水曜日)の掲示板は、「流星群」(現代文藝社発行・主宰大沢さま)や、投稿文そして私信メールを仲立ちにして大賑わいだった。こんな大賑わいは、もちろん愉快でわが好むところである。同時に私は、あらためて文字や文章の威力を痛切に悟った。言葉では、文章ほどにはいかない。なぜなら、言葉では物理的にも不可能である。さらに、言葉には言い放しのところがあり、しだいに曖昧になり、やがては忘れ去られていく。ところが、一旦文章になれば繰り返しの必要はなく、一目瞭然に記録としてとどまることとなる。そののちは時を限らず、よくもわるくもさまざまなことに波及することとなる。これこそ、文章の恐ろしさであり、反面素晴らしさである。幸運にもきのうの場合は、流星群に書かれていた文章にちなんで、人それぞれに思いがけない素敵な記憶がよみがえっていた。言うなれば流星群がさずけた、和んだ人のつながりだった。このたびの「流星群、第40号」は、二十年の足跡を残す「記念号」である。この間、一度さえ欠けることなく編まれ続けてこられた大沢さまのご奮闘に報いる、半面発行者冥利に尽きるとも言える大賑わいぶりだった。期せずして、記念号を飾ったかのような大賑わいぶりだったのである。それは同時に、長く流星群にあずかり続けてきた私にも、とんでもない僥倖をもたらした大賑わいぶりだったのである。これにかかわった竹馬の友・ふうちゃんと、高校同級生・古閑さん、そして大沢さまのとりもつ御縁にあらためて敬意を表するものである。  

禅寺丸柿物語

 投稿者:大沢  投稿日:2018年12月12日(水)08時47分6秒
編集済
   流星群40号記念号に私の作品「魂鎮めの郷」を発表しているが、
先日作品を読んでくださった古閑さんから次のようなメールを頂いた。

「流星群第40号をお送りいただき有難うございました。
このなかで「魂鎮めの郷」を読んでいるうちふと昔働いていた頃が
よみがえりました。私は、川崎市の柿生、王禅寺方面でわずかな期間
ですが働いていたことがあるからです。
 当時は、柿生という名称にそれほどこだわったわけではありません
が柿生というわりにはあまり柿の木はないので昔は柿の産地でもあっ
たのかな、位には思っていました。しかし、今回の魂鎮めの郷で「日
本最古の甘柿の品種」ということを初めて知りました。私が、働いて
いた頃、柿生という地名の地域があったかどうかは覚えていませんが、
小田急線柿生駅、柿生小学校、柿生中学校、柿生西高校、柿生郵便局
等柿生と冠のつくものが結構ありました。
 柿生方面は昔からの住宅と思われる家屋が多かったのですが、王禅
寺は昭和四〇年代頃から五〇年代に造成されたと思われる当時で云う
新興住宅地でした。」

 この麻生区岡上には他にも親しくしている方が住んでおられるので、
作品を書いているとき、奇遇だなと思っていた。この友人はまだその
ことに気付いておられないようである。これを機に聞いてみようと思
っている。
 そんなことを思っていると古閑さんから封書が送られてきて、中に
読売新聞12月9日付けの切り抜き記事が入っていた。

「偶然という言葉がありますがほんとうにぐうぜんですね。
昨日の新聞に禅寺丸柿のことが掲載されていましたので大沢さんには
もう調べられて分かっていることと思いますが切り抜いて同封してお
きます。
 わずかな期間ですが私が、柿生、王禅寺方面で働いていた頃、王禅
寺の山のわき道に日吉丸バス停留所という昔の人の名前のようなバス
停留所がありました。」

 古閑さんは当時を思い出してくださり、丁寧に送り状を書いてくだ
さっていた。
 このたびの流星群が取り持つ出来事は、先に投稿くださったふうた
ろうさんとひぐらしの記の執筆者前田さんとのことでも、小さな事で
はあるが、ほのぼのとした掲示板の交流へと輪が広がっている。
 

「流星群」がとりもつ僥倖

 投稿者:前田  投稿日:2018年12月12日(水)04時58分49秒
  12月12日(水曜日)、窓の外はいまだに真っ暗闇である。そして、このところの寒波を逆なででもするかのように、氷雨が降っている。そのせいであろうか? 郵便受けを覗いてもいまだ朝刊の投函なく、配達が遅れているようである。一瞬、(氷雨では、それもそうだろう…)と、配達人に同情を寄せた。現在の時間帯は、夜長にあって3時近くである。きょうは自作文にあらずして、突然遭遇した「ひぐらしの記」書き手冥利に尽きる、お二人様のご投稿文を並べて記し置くものである。もちろん、お二人様には事前のお許しを得ていないわが身勝手である。しかしながら私とすれば、記して置きたい僥倖である。そのため、この文章の表題には、お二人様のご投稿文にたいするわが思いを込めて、ずばり「『流星群』がとりもつ僥倖」と、付けた。【手紙】:ご投稿者:ふうたろうさん(ふうちゃん) ご投稿日:2018年12月11日・火曜日15時50分13秒。大沢さんから、送って頂いた、流星群(40号)を相良(あいら、ふるさとの集落)に住んでいる従姉に送りましたところ、次のような手紙が届きました。----------------前半略-------------前田さんや、あなたの執筆、大変楽しくなつかしく読みました。前田さんの義姉さんは、主馬おじさんの嫁さんの姪で、相良にある畑が、私の畑の側で、若い時から、畑仕事に行ったときに、会っておりました。そして、時間の経つのも忘れて、話し込んでいました。ミカンの缶詰工場でも、一緒だったし、知らない人から、「姉妹だろう」と、言われたこともありました。-------後半略-----------従姉は、本家筋の末娘で、ボクとは、6~7歳年齢差があります。ボクは、ブラジル(ご結婚ののちご夫妻で移住されていた)の主馬叔父とは、2回、会っただけで、叔母さんは、「相良から嫁に来た人」だということくらいしか知りませんでした。静良君の義姉さんが、叔母さんの姪とは知りませんでした。流星群のおかげで知らずにいた親族の知識を知ることができました。【嬉しい投稿】 ご投稿者:大沢さま ご投稿日:2018年12月11日・火曜日16時48分42秒。ふうたろうさん、いつもながら感激しております。「流星群」がきっかけで、家系のことまで知ることになる なんて、心温まる出来事ですね。ふうたろうさんの従姉様は、前田さんの義姉さんと姉妹のように仲良しだったのですね。そして、ふうたろうさんの叔父さんのお嫁さんの姪ごさんが前田さんのお義姉さんだったということですね。よくよく考えてやっと理解できました。早い話が、前田さんとふうたろうさんは、遠い遠い親戚ということになりますね。どうりで仲が良いはずです。【わが追記】義姉とは、わがふるさとの守り本尊・長兄の今は亡き奥方・フクミ義姉さんである。確かに、フクミ義姉さんの叔母さんは、ふうちゃんの伯父さんのお嫁さん・奥様である。ふうちゃんは知らないと思うからあえて記すと、フクミ義姉さんはわが亡き父の甥がもうけた長女である。そしてフクミ義姉さんは、わが父の長兄すなわちふるさとの兄のお嫁さん・奥方へと嫁がれたのである。このことではふるさとの長兄とフクミ義姉さんは、もともとの縁戚だったのである。「流星群」と「ひぐらしの記」のとりもつ縁にちなんで、人生の縁(よすが)を追記したのである。かたじけない。氷雨はまだ止まないだろうか。  

嬉しい投稿

 投稿者:大沢  投稿日:2018年12月11日(火)16時48分42秒
   ふうたろうさん、いつもながら感激しております。
「流星群」がきっかけで、家系のことまで知ることになる
なんて、心温まる出来事ですね。
 ふうたろうさんの従姉様は、前田さんの姉さんと姉妹の
ように仲良しだったのですね。そして、ふうたろうさんの
叔父さんのお嫁さんの姪ごさんが前田さんのお姉さんだった
ということですね。よくよく考えてやっと理解できました。
 早い話が、前田さんとふうたろうさんは、遠い遠い親戚
ということになりますね。どうりで仲が良いはずです。
 

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