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夏、雑感

 投稿者:前田  投稿日:2018年 7月18日(水)06時05分1秒
  何度書いても書き足りない、西日本豪雨が見舞った悲惨な光景である。炎天下の復旧作業の様子がテレビに映し出されると、一雨欲しい思いである。ところが、この願望は再度の洪水や土砂崩れを招く恐れもあり、そのことでは願ってはいけないのかもしれない。だから、いっそうつらい光景である。このところのテレビ画面には、日本列島各地の高気温状況がテレップで流れ続けている。西日本豪雨被害をおもんぱかれば、憚(はばか)れることだけれど、それでも一雨欲しいところである。しかしながら大雨は望まず、望むのは日照り雨か、しばらく降ってさっと去る夕立くらいである。しかし天界は、私が望むがこんな粋な芸当をするあてはない。そうであれば西日本豪雨をかんがみていましばらくは、雨無しの日照りに耐えるべきなのであろう。道路の清掃へ向かうと落ち葉は、水気をまったく失くしてカラカラ状態にある。もちろん、庭中の土壌もまたカラカラに乾ききっている。六本立ちのミニトマトは日々のわが水遣りにより、やっとこさ立ち枯れを忍んでいるありさまである。ところが、夏草だけはむしろ土壌の渇きを得てにして茫々と茂っている。この光景を見ると私は、苦々しい思いをたずさえている一方で、それらの生命力の強さに驚嘆しきりである。わが弱い精神力は雑草の生命力の強さに、ほんのちょっぴりでもあやかりたいところである。庭中の夏草のみならず、視界の中でわが夏の到来を告げているものには、日に日に彩りを鮮やかにしているサルスベリ(百日紅)がある。ほぼ六メートル道路を挟んで、空き家を取っ払った空き地に残された植栽には、紅色の花のサルスベリの木が立っている。この先、九月の中ほどまでは、私の好むサルスベリ風景にありつける。もちろんこの恩恵には、やがては日々落下をきわめ始める無数の花びらの清掃という、恩返しの行為が強いられてはくる。それでも、主(あるじ)を失くしたサルスベリの風景には言いようのない寂寥感(せきりょうかん)があり、私は不平不満をこぼすことなく清掃に明け暮れる。空き家や空き地の風景は、いずれわが身という、思いもあるからであろう。季節は、夏至(六月二十一日)からまもなく一か月がめぐってくる。この確かな体感は、このところの日の出の遅さと夕暮れの早さである。夏の夕暮れの中にあってわが夫婦には、ひとしきり意識して愉しむ習わしがある。それはどこかしこを網戸にしたままに、部屋には明かりをつけないで、夕涼みの真似事をすることである。この習わしは、わが夫婦の夏の醍醐味の一つである。もちろん、こんなとき地震でも起きれば、たちまち狂乱状態になる。七月十八日(水曜日)、のどかに夏の夜明けが訪れている。小雨の気配や兆しのない、朝日輝く夏空である。きょうの私は、木陰を選びながら卓球クラブの練習に向けて、坂道を下って行く。本音のところは、一雨欲しいところである。もちろんびしょ濡れではなく、ちょっと降ってすぐに止む小降りである。  

風の女(二十五)

 投稿者:大沢  投稿日:2018年 7月18日(水)05時15分30秒
   その夜、佐和子はさっそく寿美子の見合いの話をした。いつもは
遅く帰宅すると、何を言ってもうわの空のような大典だったが、め
ずらしく佐和子の話に耳を傾けていた。
「とうとう、姉さんも背水の陣をしかされたってわけだなあ。気の
毒に……。邪魔ものにされたあげくに、見合いをさせられるはめに
追い込まれてしまったか」
 まだいくらか酔いがのこったような大典のことばが、佐和子の気
持ちを逆なでした。
「みんな寿美ちゃんのためと思っていっしようけんめいなのよ。仕
事のことばかりで、あとはみんなおまかせのあなたには、こんな苦
労はわからないでしょうね」
「わかったよ。いいきょうだいだよ、君たちは。きょうだいがいて
も、わずらわしくて付き合いをしないでいる俺なんかとは大違いさ」
 大典は苦々しくつぶやいて、それ以上は深入りしなかった。
「二、三日中に兄のところへ行ってこようと思っているの。絵美と
博はおいて行くことにしますから、あなた、お願いしますね。たま
に一日ぐらい早く帰ってきてくださるわね」
「こまるんだよな、それは。俺をあてにしないでくれっていつも言
ってるだろ。仕事をほっぽりだして帰ってこれるわけがないじゃな
いか」
「ああ、また逃げるんですか。あなたは、いつだってそうやって私
に押しつけてばかりで少しも協力をしてくださらないんですからね。
私ひとりがてんてこまいしているんだわ」
「家庭は、経済的な基盤がしっかりしていなけりゃ苦労するんだぞ。
その基盤を俺が受け持っているんじゃないか。君だって、外へ出て
働いているんだから、男の立場ってものがどんなものかわかってい
るはずじゃないか。家庭第一なんて言って甘い顔をしている男が職
場で重要視されているかい」
「もうたくさんだわ、そんな話。わかりました。子どもたちはつれ
ていくことにします。あなたには頼みませんわ。腹を立てるだけ馬
鹿らしいわ」
「それがいい。そうしてくれよ。その方が俺も気が楽だよ」
 大典は、大きなあくびをひとつして布団にもぐりこんでしまった。
 何を言っても、結局、佐和子はとり残されたような気持ちになっ
た。
 

畏敬つのる、炎天下のボランティア活動

 投稿者:前田  投稿日:2018年 7月17日(火)06時00分54秒
  七月十七日(火曜日)、三連休明けの夜明けが訪れている。きのうは「海の日」(七月十六日・月曜日、休祭日)だった。日本列島各地は、気温の高い日に見舞われた。その様子を伝える記事から、一部を抜粋すればこう書かれている。<岐阜・揖斐川で39.3度 186地点で35度超える>(2018年7月16日21時52分 朝日新聞デジタル)。「全国各地で厳しい暑さが続く中、3連休の最終日となった16日も朝から気温が上がり、岐阜県の3地点で39度超を記録した。西日本豪雨の被災地を含む186地点では、午後5時までに最高気温35度以上となる猛暑日となった。」この記事に併せて、私は次の配信ニュースの引用を試みている。実際のところは三連休にもかかわらず駆けつけて炎天下、被災地および被災者応援に勤(いそ)しむボランティア(無償奉仕活動)の人たちにたいし、かぎりなく畏敬がつのるためである。もちろん、災害列島すなわち日本社会にあって、こんな眩(まぶ)しき人たちが存在することを肝に銘じて、その行為を崇(あが)めずにはおれないからでもある。<連休中、延べ4万人のボランティアが支援=不明20人、死者210人―西日本豪雨> (7/16・月曜日、13:04配信 時事通信)。「全国社会福祉協議会によると、14日からの3連休中に、被害の大きかった広島、岡山などを中心に被災府県に延べ約4万人が集結。仕事の都合で引き揚げる人は悔しさもにじませたが、被災者からは感謝の声が上がった。これまでに死亡が確認されたのは13府県で210人。安否不明者は20人で、懸命な捜索が続いた。各地で復旧作業も進み、岡山県倉敷市の真備町地区のうち、小田川の南側1300戸で16日正午に断水が解除された。同協議会によると、2014年8月に起きた広島市土砂災害で全国から集まったボランティアは2カ月間で約4万6000人。今回は、3日間でこれに及ぶ人数で、担当者は『復旧には時間がかかり、まだ必要だ。被災地に気持ちを寄せていただき、息の長い支援を』と呼び掛けている。16日に集まったボランティアは約1万人。倉敷市真備町地区や広島県呉市などで作業を続けた。真備町箭田の女性(83)は大きなごみを運んでもらい、『これで親戚に部屋を洗ってもらうだけ。本当にありがたい』と感謝。一方、東京から支援に駆け付けた菅一菜美さん(32)は17日から仕事のため、被災地にとどまれない。『きょうしか来られなかった。また来たいが距離の問題で難しい』と悔しそうに話した。気象庁によると、16日の最高気温は倉敷市で36.1度(今年最高)、広島市安佐北区で35.1度、愛媛県大洲市で35.5度を記録。同庁は引き続き熱中症対策を取るよう呼び掛けている。総務省消防庁によると、16日正午時点で約4870人が避難所での生活を余儀なくされている。」ボランティアの人たちの善意は、いくら崇めても崇めすぎることはないだろう。常にボランティア精神を保持する人たちは、被災地のみならず日本社会の浄化に励む人たちと言っていいだろう。そのためその崇高(すうこう)な精神は、日本社会に実在する神様とも言えるであろう。ありがたいことにはボランティア精神が根づくどころか、その志をたずさえる人たちは年々増えているという。天災および人災多い日本列島にあって、確かな光明である。しかし、私はその仲間に入れず手を拱(こまぬ)いている。その罪滅ぼしには、それらの人たちへひたすら畏敬をつのらせるばかりである。  

風の女(二十四)

 投稿者:大沢  投稿日:2018年 7月17日(火)05時14分48秒
  「とにかく、一日も早く寿美ちゃんに会いたいって、すっかり乗り
気なんですってよ」
 佐和子は話をすすめながら、四十歳を過ぎたらと呪文のように寿
美子が言い続けていた手相のことを思いだしていた。
 ひょっとしたら、寿美ちゃんの手相はほんとうかもしれない。そ
して、この話がまとまったら、寿美ちゃんは、きっと幸せになるに
ちがいないと、佐和子はなんだか自分のことのように気持ちが浮き
立ってくるのだった。
「そうね。佐和ちゃんを見ていると、家族に囲まれて幸せそうだか
ら、結婚ってほんとうにいいものなんだわね。家族ってほっとする
のよね。このままだと、わたしは死ぬまでひとりぼっちのままだも
のね」
 だまって佐和子のことばに耳を傾けていた寿美子が、しみじみと
言った。
「寿美ちゃん、吾郎兄さんも心配しているのよ。会うだけ会ってみ
たらどうかしら。気に入らなかったらことわったっていいんだもの」
 佐和子が言うと、寿美子は小さくうなずいた。佐和子は、この話
はなんだか決まりそうな気がした。
 数日後、寿美子が見合いを承知したからと電話で吾郎が佐和子に
言ってきた。
 この話は、きっとまとめてみせるよ、と吾郎は上機嫌の口調だっ
た。久しぶりに吾郎の明るい声を聞いて、佐和子も受話器を握りし
めたまま、興奮ぎみにうなずいた。
 見合いの日どりなど決まったら知らせるので、一度こっちの方へ
も顔を出してくれないか、と吾郎が言って、佐和子も早急に出かけ
る返事をした。
 

誕生日の備忘録

 投稿者:前田  投稿日:2018年 7月16日(月)06時23分46秒
  誕生日(七十八歳)明けの「海の日」(七月十六日・月曜日)。なんだか、気分が重たい。夜明けの空を見るかぎり、これまた西日本豪雨の被災地と被災者の人たちにはまことに恐縮だが、三連休は海や山への行楽日和である。きのうの私と妻は、JR横須賀線大船駅(鎌倉市)から、下りのJR横須賀線に乗車した。電車の行き先は、JR逗子行きだった。大船駅の先からは、JR北鎌倉駅、JR鎌倉駅、そして終着逗子駅(逗子市)へと下って行く。北鎌倉駅周辺の物見遊山は、鎌倉五山(円覚寺、建長寺、浄智寺、そして寿福寺、浄妙寺)のうち、前三山(寺)をめぐる歩行である。鎌倉駅と逗子駅に降り立つ人たちは、われ先に鎌倉の海と逗子の海を目指す海水浴客たちである。車内は、冷房の効き目が緩むほどに込んでいた。電車が北鎌倉駅に停まると、まばらにおとなたちが降りた。鎌倉駅では若い人たち、子どもを連れ添った家族が一斉に降りた。逗子駅では、車内に残ったすべての人たちが降りた。鎌倉駅と逗子駅に降り立った人たちは、明らかに海水浴客だった。私と妻は逗子駅で下車したものの、停車中のJR久里浜(横須賀市)行きへ乗り換えた。途中のJR横須賀駅前における娘家族(三人)との出会いの約束時間は、正午(十二時)だった。きのうの私たちは、娘の連れ合いが運転する車で、横須賀駅前から東京都国分寺市へ向かったのである。目的は、国分寺市に住むわが次兄宅への訪問だった。行きには三時間ほどがかかり、三時近くに着いた。次兄宅には一時間ほど居て、帰途に就いた。途中、ファミレス「夢庵」で夕食を摂った。そのせいでわが家には、ほぼ四時間半のちの午後八時半頃に着いた。娘たちは私たちを送り届けると、横須賀市内の自宅へ向かった。おそらく娘たちの帰宅は、一時間のちの九時半あたりであったろう。きょうの文章は、まことに身勝手ながらわが誕生日における行動の備忘録である。かたじけない思いつのるばかりである。一つだけ付加すれば私は、夢庵ではこの夏初めてのかき氷を食べた。次兄家族は、私たちの訪問を待って大歓迎してくれた。心に残る誕生日だった。それなに、目覚めて気分が重たいのは、なんたる罪作りであろうか。ほとほと、もったいない。心地良い、旅の疲れであったはずである。  

風の女(二十三)

 投稿者:大沢  投稿日:2018年 7月16日(月)05時28分38秒
   大典が、風呂に入るからと言って立ちあがった。
 佐和子は、吾郎から電話で寿美子に見合いの話があるからそれと
なく話しておいてくれるように、と言われていた。
 良い話だから、寿美子もきっと気に入ると思う、と吾郎は自信た
っぷりに言っていた。
 大典が部屋を出て行くと、佐和子は、声を低くして寿美子にその
話をした。特に大典に聞かれて悪い話ではなかったが、寿美子の立
場を考えてのことだった。
「そのひとはね、初婚ですってよ」
 佐和子が話し出すと、寿美子は、いつもは激しく首を振って聞く
耳を持たなかったが、今夜は静かに聞く姿勢をとっている。
「なんでも小さな会社を持っているひとで、仕事が軌道に乗るまで
は会社一筋に生きるんだってがんばって、きたんですってよ」
 仕事に追われ、仕事第一に考えている大典にいつも不満をぶつけ
ている自分のことを棚にあげて、寿美子には仕事一途の男との見合
いをすすめているのを佐和子は気づいているのかいないのか、とに
かく、寿美子の気持ちをそらさないよういっしようけんめいなのだ
った。
「寿美ちゃんが絵を描いていることを話したら、たいそう感激して
らしたそうよ。何かに打ち込むものを持っていない人間はつまらな
いって言ってらしたとか」
 佐和子は、寿美子の反応をいちいち確かめるように自分のことば
に抑揚をつけた。
 

誕生日

 投稿者:前田  投稿日:2018年 7月15日(日)06時19分8秒
  このところの私は、生きることに押しつぶされそうになっている。就寝中、一度目覚めると、再びは寝付けない。過去の悔いごとや、この先の不安が心中を脅(おびや)かすからである。なさけない。こんなことを書くようでは、文章を書かなければいい。実際のところこんな精神状態では、文章は書きたくないし、おのずから書けない。きょう(七月十五日・日曜日)は、わが七十八歳の誕生日である。ところが、こんな心境にとりつかれて、そのうえ恥晒しをかえりみず吐露している。わが精神は、常に泣きべそ状態にある。生来の「身から出た錆」、私は根っからの弱虫である。二度寝ができず精神状態ままならないため、私は階下へ下りて朝刊を取ってきた。朝刊に、精神安定剤の役割を託したのである。すなわち、みずからの文章は擲(なげう)って、朝刊の記事に救いを求めたのである。すると、一面記事の大見出しには、「暑い被災地 温かな心 ボランティア続々と」と、書かれていた。記事の一部を抜粋すると、こう記されていた。「全国各地で厳しい暑さとなった三連休初日の14日、西日本を中心とする豪雨災害の被災地には多くのボランティアが集まった」。被災者の悲しみは極度にある。それを支え、助け合うボランティア(無償奉仕活動)の人たちの心意気は、神々(こうごう)しいばかりである。まさしく、人間社会は共生社会である。するとこの記事は、メソメソとするわが弱虫精神に、一時的とはいえカンフル剤を打ってくれたのである。あすは「海の日」(七月十六日・月曜日)の祭日である。「七月盆」の真っただ中でもある。三連休は、よかれあしかれ人の営みを映して過ぎてゆく。現実には被災者でもない私が、さまざまな不安に駆られて、身を窶(やつ)すのは愚の骨頂である。馬鹿げているし、もちろんもったいないところもある。わかっちゃいるけど、生きることは、わが身には荷が重すぎる。誕生日にあっての、なさけないわが繰り言である。健康体だけが取り柄で、精神力はまったくの惰弱(だじゃく)である。もはや消費期限すれすれの誕生日にあって、こんな文章を書くようでは、とことんなさけない。やはり、きょうの文章は擲つべきだったのかもしれない。わが誕生日は、母の没年(昭和六十年・一九八五年)の命日でもある(享年八十一歳)。母の面影が沸々とよみがえっている。私は生き続けなければならない。  

風の女(二十二)

 投稿者:大沢  投稿日:2018年 7月15日(日)05時33分51秒
  「これ、姉さんに使ってもらえればうれしいんだけど」
 大典が、寿美子の目の前に大きな絵の具箱を開いてみせた。手製
の物らしい絵の具箱の中に絵の具がぎっしり詰まっていた。
 最近の寿美子は絵の具を買う余裕さえもなくなって、油で薄めた
ような絵ばかり描いていた。
「大典さんの大切なものなんですから、わたしがいただくわけには
…あまり」
 寿美子は、目を見張りながらも辞退した。
「いいのよ、寿美ちゃん、遠慮なんかいらないわ。どうせ、パパさ
んは、一生描く時間なんて持てっこないんだから。つくろうとしな
いんですもの。仕事が命になってしまっているんだもの。こんなも
のがあったって、宝の持ちぐされだわ。なくなってしまった方がせ
いせいするわ」
 佐和子は、寿美子の方へ絵の具箱を押しやりながら、それでも、
何かすがるような思いで大典の反応をうかがっていた。
「おいおい、この際、俺のことはぬきにしてくれよ」
 大典は、ふたりを見比べながらきまり悪そうに言った。
 寿美子は、絵の具箱の中の絵の具をひとつひとつ丁寧に手に取っ
てみながら、何かひとりごとをつぶやいて、その中の三本だけを抜
き取った。
「今はこの三色だけがたりないの。これだけいただけるだけでも助
かるわ。大典さん、ありがとう」
 醜男は嫌いなどと言っていた寿美子とはうって変わって、絵の具
を丁寧にバッグの中におさめている姿を見つめて、佐和子は、そっ
とため息をついた。
 

風の女(二十一)

 投稿者:大沢  投稿日:2018年 7月14日(土)06時15分1秒
編集済
  「だから言ったじゃありませんか。あの子、最近ほんとにおかしい
んですよ」
 佐和子は、誰にともなく非難がましく言いながら立ちあがって、
博を大典の膝から離すと二階の部屋につれてあがった。
 絵美は、すすり泣きを続けていたようだったが、佐和子が部屋に
入って行くと泣き声はやんだ。
 佐和子が、博を寝かしつけて下へおりて行くと、大典が待ちかま
えていたように、
「あの絵の具どうしたかなあ」
 と、佐和子に向かって言った。
「あら、あなた。よく覚えておいでだったことね」
 佐和子は言いながら、押し入れに頭を突っ込んで、奥の方から油
絵の具の箱を見つけだした。それは、だいぶ以前に大典が友人から
譲り受けてきたものだった。
 大典が絵を描くことが好きだということ、高校時代には美術クラ
ブに入っていたのだということなど佐和子が知らされたのは、この
絵の具箱を彼がもらってきたときのことだった。休日にでもまた描
こうなどと言っているうちに、今は休日さえも仕事でつぶれてしま
うようになった。
「大典さんが絵をお描きになるなんて、ほんとうなの。初耳だわ」
「私だって、まだ一度も見たことないわ」
 佐和子は、大典の方を見て苦笑した。
 

日本列島、悲しみの中の「七月盆」

 投稿者:前田  投稿日:2018年 7月14日(土)06時02分33秒
編集済
  西日本豪雨の惨状に気をたられているうちに、七月盆が訪れていた。きのう(七月十三日・金曜日)は迎え日で、きょうは(七月十四日・土曜日)はお盆のさ中にある。七月盆の習わしにある被災地や被災者は、まったく予期しない悲しいお盆を迎えている。もちろん被災地や被災者たちは、お盆行事すなわち先祖の供養やお墓参りとて出来るわけがない。それより、仏壇やお墓さえ姿を留めていない人が多いはずである。なをそれよりなにより被災地の多くの人たちは、突然に肉親を亡くしたり、いまだに行方不明にさらされて、茫然自失悲しみのきわみにある。これらの人たちはもとより日本列島には、抗(あらが)うことのできない憎々しい天災のもたらした惨禍に遭って、七月盆が訪れている。それでも人は、日常生活を絶つことはできない。茹だるような炎天下、被災地や被災者の人たちは、悲しみをじっと堪(こら)えて復旧作業に大わらわである。テレビニュースの映し出すこの光景に見入ると、私は居たたまれない気分に襲われる。だからと言って私には、同情さえ憚(はばか)れる思いがある。なぜなら私は、何一つ手助けできない生きる屍(しかばね)にすぎない。このため、実際にボランティア(無償奉仕)活動に駆けつけている人たちの姿は、神々(こうごう)しいばかりである。今年(平成三十年・二〇一八年)の日本列島は、私自身が七月盆の入り日に気づかないほどに、西日本豪雨の惨禍に見舞われたのである。古来、日本社会にあっては「盆と正月」と、言われてきた。すなわち、日本社会にあってのお盆は、人々の暮らしの中にあっては正月と双璧を成してきた大事な営みである。なかんずく私の場合は、正月をしのいで心に残るわが家の営みだった。実際にもわが思い出づくりには、正月をしのいでいた。子どもの頃の私は、迎え日と送り日(七月十六日)には、母に連れられて墓参りに出かけていた。わが家の墓は、歩いて二十分ほどの野末の小さな丘にある。墓参りの持参物は、水を入れた薬缶、蝋燭、線香、庭帚、マッチ箱、そして花坪(花壇)から摘んだ名知らずの草花だった。草花は、幾重にも古新聞にくるまれていた。なぜなら古新聞は、墓場では火の焚き付け役割を兼ねていたからである。盆の間の仏壇には、母手作りの団子類が供えられて、絶えず蝋燭が灯(とも)されていた。仏壇のある座敷(板張り)には、いくつかの盆提灯が天井から吊るされていた。七月盆のさ中の十五日(昭和十五年・一九四〇年)は、わが誕生日である。ところが、のちのこの日には、母の命日(昭和六十年・一九八五年)が重なったのである。おのずから私の場合は、七月盆の入り日は決して忘れるはずもない日である。ところが、西日本豪雨の惨状は、それを忘れるところまで、追いやっていたのである。  

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