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暑中お見舞い申し上げます

 投稿者:いわ  投稿日:2018年 7月16日(月)21時06分0秒
  あの大雨の後の連日の暑さときたら!何もなくてもフーフーと汗だくで、日中は意識が飛びそうになります。私の家にはエアコンがないので、うちわと扇風機で凌いでいるというのに、今日は39℃越えですって。被災地域の後かたづけしている方々は如何許りかと(・・;)
Monchanさんの上司って、まあ!…ブラック企業ではありがちですが、余計なストレスで、どうぞお身体を壊しませんように、と祈るばかりです。天災はまぁ仕方がないと割り切りやすいですが、対ヒトですとなかなか不条理な感は残ってしまって(涙)。他人事じゃないんですけどね、、、
東洋人さんのご子息の受験も、単純に勉強がんばって良い成績取れば良い進学先にいけるという訳ではなくて、なかなか大変なんですね。40年以上も前ですが、私の受験の時も、父が私以上にいろいろ考えてくれて。その時は、そんなに選択肢がないのによう時間かけちゃって、すっきやねー!なんてもったいない事を言ってました。思い出すと申し訳なくて、今でもジーンとします。(;_;)
 
 

これからの学生

 投稿者:東洋人@XPERIA  投稿日:2018年 7月15日(日)22時37分42秒
    せっかくの三連休で、平日ヘトヘトだったので待ち遠しかったのですが、息子の進学先の判断材料のために学校説明イベントに土日出掛けました。この現代においても父親だけで子供の代わりに学生ばかりの空間に来ている人は少なく、代理でわざわざ参上したというのに『保護者の方は学生を優先してその後に並んでください。』とマニュアルどおりの説明をされ、頭にきたので叱ったら誘導の若い女の子は固まって喋れなくなってしまいました。
  しかし沢山の大学教授等の講義を聞くこともでき、マイバラード作曲者の松井孝夫さんのお話ですとか、宝塚大学のアニメーション関係の方で、いわゆるJOJOシリーズのスタッフの方(ここは、異様に学生が集まってました。)など、なかなか聞けない話を伺えたので、面白い経験をした気がします。
  さて本題ですが、いま高一の息子が大学受験するときから制度改革が決まっていて、多くの大学で共通する話として、①知識偏重から思考力や協調性、意欲等の発揮できる人材を求めること、②英語は基礎的に必要で、検定試験的なものを受けてクリアした者のみが受験申請資格を得る、といった方向に確実に変化します。
   社会的な背景としては、AI(人工知能)の急激な伸展により現在世の中にある仕事の大半が、人からAIに変わること。肉体労働も随分なくなるとか。予測不可能な社会に入ること。このため中途半端な詰め込み知識ではなく、ツールを駆使して自分で考え切り開く力がなければ、80歳定年時代まで働くことができないからなんだそうです。私の定年はおそらく65より後だと思いますが、本当にひとせだい先は80歳まで働くのか疑問ですが、本当に専門性や社会に貢献する意欲をもった学生でないと、ろくな仕事に着けないと。学校以外でどんな経験をしたとか、地域との関わりなどを書類審査で合否判定のポイントにするそうです。
  こうした方向性は、知識偏重の入試のあり方の批判と共に確かに望ましいと思われてきましたが、ついに全国の学生が中身を問われる時代に入るというのは少し脅威ですね。息子のようにボーイスカウトで随分活動実績を積んできた子は多少有利な時代になりますが、そうした課外活動が当然のように求められ評価されるというのは、一種の強制的なものを感じさせられます。ちなみに英語は実用英語検定の2級以上ないと、きちんとした大学には出願自体ができません。え~!
   大学受験のとき、単科の受験科目も、どちらかというと知能テストみたいな感じに移っていくような説明を聞きました。決めつけたような知識の暗記は必要ないということらしく。まあそうかもしれません。

   一方で、働き方改革で、學校の先生の部活指導は随分抑制されていくので、いま合唱の小中学のレベル維持が難しくなると、合唱連盟が騒いでいます(笑)。学校自体が部活に熱を入れるのは日本の特徴らしいので、先生たちがゆとりある教員生活を得る代わりに、欧米のように、地域とか民間団体で学生たちの歌う環境が変わっていくのかもしれません。
  こんなふうに、学生たちは単に学校で詰め込み知識を得たり、半ば軍隊のように勝つための音楽部に属するのでなく、学校以外で優れた指導者に教わり歌等の芸を身につけ、暗記よりもディベート力や独創的なレポートを書いたり、ボランティアとかボーイスカウト活動をして、全員が英語の塾に通い、総合的な人間力を試される。ううむ、むしろ今までより大変じゃないかな。AIに仕事を奪われるのではなく、AIを駆使して活用できる人材。いずれにせよ落ちこぼれはでますね。
   私たちも学生生活に何らかの不満はあったかもしれませんけど、古き良き時代だったのかもしれません。
 

大雨の影響でお疲れさまです

 投稿者:いわ  投稿日:2018年 7月10日(火)09時21分27秒
  ご無沙汰いたしております。
2ヶ月以上横浜におり、仕事も無いのに落ち着かない毎日でした。家族の危機?も少し乗り越えて(笑)岐阜へ帰って、掃除も一段落したところにこの大雨!といっても、浸水被害に遭われた方には及ぶべくもありませんが…大雨の後は、蜂がやたらと巣を作るんです。
同じ岐阜でも少しズレているだけで、私の住んでる木曽川の中洲は全く被害はなく、ただの大雨でした。しかし何十年ぶりの大雨とかで、雨間を待って堤防へ見に行きました。やはり今までで最も増水しておりました。
ザーザーと流れる広い川幅の水流を見ていると、プチトランス状態になる感じ。うーむ、ちょっとヤバいかも。
横浜では、所属していたコーラスで歌ったりしてました。指揮者の先生(といっても、友達ですが)に、自分は都合があって行けないけど聴きに行ける?ともらったチケットは、なつめ先生のコンサートでした。近くの会場でしたので、一人でふらっと聴きに行きました(^ ^)
内容はともかく、あの先生がこんなソロコンサートするんだーとちょっと感動しました。いくつかの合唱団で指揮をしていて、ご活躍のようです。

 

陣中お見舞い申し上げます

 投稿者:東洋人@XPERIA  投稿日:2018年 7月 8日(日)21時13分41秒
編集済
     Monchan、車中泊をなさったんですね。呉とか東広島という言葉がニュースで聞こえてくるので、様子はどうなんだろうかと気になってましてた。安芸西条には昨年仕事で訪れてますし。泥水をかぶった町を復旧するのは大変な仕事で、疲れて体を壊さなければよいのですが、お気をつけください。
  このところの停滞した線上降水帯的な長雨で、九州や四国でも相当やられてますが、やはり人の数が多い分犠牲者が多くなってしまうのか、広島や岡山は大変な状況とお察しします。これから先も台風は何度かやってきますし、大地震もいつ起こるか分からない中、私たちは何のために一生懸命働き、子供たちは勉強していくのでしょうか。
  東京は暑い晴れた日で、合唱祭をしているので聴きに行くと、講評者の女の先生が、親戚が広島で犠牲になられたようで、少し取り乱しながら『歌声を届かせてください!』と挨拶されてました。
  今宵もお気に入りYoutube演奏を一つ掲載してみます。フランク・マルタン作曲のミサ曲で、前にも別の演奏を張りましたが、やはり人の顔が見える演奏、ましてや優れた歌い手の情感が伝わってくるような感じで、とても魅力的だと思います。

  指揮は、今をときめくPaterダイクストラが指揮してます。ミサ曲なのでKirieから数曲続いていきますが、終曲の21:40頃始まるAgnusdeiが絶品だと思います!

https://youtu.be/J4c0ecGbtqY
 

西日本で豪雨災害

 投稿者:Monchan  投稿日:2018年 7月 8日(日)18時13分42秒
  7/6の金曜日は朝から大雨で、嫌な予感はしたのですが、まさかこのような災害になるとは思いませんでした。
テレビで何度も放映された、矢野東という場所の川になっている道路は、私が毎日通勤で使っている道路で、当日の朝も平然とあの道路を使って会社に行きました。
いつも見慣れた風景が削り取られ、ひどいことになってるなんて、夢にも思いませんでした。ただ、3年前の広島の土砂災害の時に、山の斜面を削って作られた団地が、集中豪雨で流された後に、この団地を見て、ここも山の斜面に作られて危ないなとは思っていました。よく考えればここは川のすぐ隣の道路だったんですね。
そして、さらに上がった場所には、冬場によく凍結する峠を越える道路があって、大雨が降ると切通しのような崖から水が流れ出て、ここはいつか崩れるとは思っていましが、それが今年になるとは思いませんでした。
今日初めて見ましたが、道路わきの電柱がなぎ倒されて、赤い車が倒れた電柱に挟まれて壊れていました。電柱が通せんぼするような形になっていて、ここは当分通れないでしょう。このような災害の爪痕があちこちにあって、改めて怖い大雨だったんだなと感じました。

私は仕事の都合で、8時過ぎまで会社にいました。大雨警報は出ていましたが、会社の上司は帰れとは言いませんでした。それどころかさっさといなくなっていました。
古い工場の中もあちこち雨漏りがして、水を拭いたり、扉の前に土嚢を積んだりとか、くたくたになって動いて、それから急いで帰ろうと車で出たのですが、あちこちで道路の低い場所が冠水していて、車が動けなくなっていたりして、大渋滞が発生していました。
それでも根気よくノロノロ運転で矢野東までたどり着いたときは、夜の0時を回っていました。バイパスを越せば私の住む町にすぐ帰れるはずだったのですが、警察官が来て、私の町につながる全ての道が通行止めとなっていますと言ったので、仕方なく路上の左端に車を停めて、車中泊をしました。大粒の雨がバタバタと車の屋根を叩きますが、椅子を倒して寝るしかありません。幸い毛布を車の中に入れていたので、毛布をかぶって耳栓をして寝ました。救急車両が何台通り過ぎて行ったでしょうか。ひたすら我慢するしかありませんでした。
翌朝になっても何も変わりませんが、今更会社に戻ることもできず、ひたすら通行止めが解除されるのを待つしかありませんでした。
雨が止んだので外に出て、物陰で立ションをして、車に戻ってひたすら寝ました。昨日の晩から何も食っていませんが、メタボはこんな時のためなんですね。最後に食ったのが前日の昼なので、20時間以上飲まず食わずでしたが、何とかなりました。しかし、さすがにのどが渇いてきて、自販機を探して歩いていたらローソンがあったので、食料品は何もないのは覚悟していましたが、行ってみるとビスケットとか、お茶とかがあったので、適当に買いました。コンビニのトイレの前には10人以上ひとが並んでいて、女性は大変だなと思いました。
外に出たら通行止めが解除になって、慌てて車に戻って、途中危険個所を迂回しながらのルートでしたが、何とか帰れました。道路は泥だらけで、浸水したらしいコンビニとか住宅とかもあって、大変な光景でした。西日本の広い地域で、時間を追うごとに死者の数も増えて、それこそ数十年に一度か、一生に一度経験するような災害だとわかりました。それでも無事に帰れたのはよかったです。家族も無事でしたが、私が帰ってこないことを心配していたそうです。ケータイで逐次やり取りしていたので、そこまで心配欠けていないと思います。

良い勉強になったと思います。いい経験をしたと思います。車の中には非常用のトイレ、毛布、水は必需品だと思いました。
悔しいのは、道路情報が入らないことです。一般道のどこが通行止めなのか、ラジオを聞いてもワンセグを見ても出ません。ケータイで検索をしても出ません。
最新の道路情報はおそらく警察が知っているはずなのに、アナウンスをする事はありません。
災害時には警察と報道がタイアップして、通行止めとかの道路情報とか危険個所とか、いち早く知らせてほしい。具体的な情報が知りたい。
わからないけどとりあえず行ってみよう、渋滞してるけど、ここまで来たんだから我慢して先に行こう。そう思って亡者のごとくさまよいながら、気がつけば後にも先にも行けず、動けなくなっている。それだったら、始めから帰るのをあきらめて、会社に残って一晩明かした方がよかった。
西日本はまだ梅雨が明けませんが、次に同じようなことがあったら、会社で寝泊まりしようと思いました。
 

自宅にて

 投稿者:東洋人@XPERIA  投稿日:2018年 7月 3日(火)19時52分33秒
     その後、昨日の昼に、38番札所金剛福寺に到着しました。これまでと違って道中スコールに遭い、うまい具合に高いところに樹木が枝を伸ばしていたので15分程度、軒の下で雨の止むのを待つ時間がありました。
  その前の晩に水ぶくれを潰しておいたのが良かったらしく、痛いけど地に足を下ろしても我慢できるレベルの足の裏と、同行二人みたいな付き合いをしました。
   目的を達したあと、もう少し折り返して歩く計画だったのは放棄して、足摺岬郵便局から秋のコンクール代金を八万円送金するミッションもありましたし、今回はここで打ち止めとなりました。次はもう一度岬から出発なので、飛行機便との接続によっては、この寺の宿坊に泊まることになるかも。普段の生活では般若心経を読むことがなく、読経するうちに敬虔な気持ちが少しは戻ってきました。
  今回ずっと歩いてきた四万十市はかなり広く観光名所もあるというのに、パンフをみたら三万人程度しか人口がないのだそうです。少し隣の愛媛県に入ればもっと人が住んでます。こんな過疎地域で、純朴な学生の姿を見ては本当にこの子達が地域の宝なんだろうなとうるうる来ながら、地方創生が容易ではないことを実感させられます。トラフで30m級の津波が予想される太平洋岸の自治体、パンフにはIターンUターンと希少事例で定住を促進させようと努力が感じられます。
   日本最貧に近い高知、住んでる人は、行脚の途中で見てきましたが、朝から総出で草刈りをしたり、一生懸命その土地でできることを実践されています。でも若者はいない。私には何かすることはできませんが、わざわざ東京から少しばかりの金を落とすだけでも役に立ったらいいなと思った土佐路でありました。南無大師遍照金剛。
 

梅雨明けと台風と

 投稿者:東洋人@XPERIA  投稿日:2018年 7月 1日(日)21時17分52秒
     久々に四国の遍路の続きで高知に入っています。
  出発の二日前になって、機材が間に合わないから欠航するとメールが入り、驚いて朝六時に成田を立つ早朝便に切り替えたので、(金)の夜遅くにバスで成田に行き、他の乗客たちとフードコートで椅子を並べて仮眠してフライトを待ちました。
  そんな小さな苦労を経て、以前終わった地点に向かう間、山の中だからだったのかバケツを引っくり返したような雨で、予土線(伊予と土佐を繋ぐJRローカル線です。)のトイレのない列車のトイレ休憩駅で、ちょっと外に出ただけで傘を指しているのにずぶ濡れになるくらいでした。東京では梅雨明けで猛暑続きで実感を得られないかもしれませんが、地方は雨風で難儀をしてますよね。
  だから四国の様子からして、とても歩ける状態じゃないかなあ~と落胆しながら太平洋側に着くと、今日で二日目ですが、買ってきた傘を指す必要がないほど、私の歩く道には雨が降らない驚きの路程となりました。
  今晩の宿にも、ついた途端、大粒の雨が振り出し、昼の二時半に着いたので、あと少し距離を稼ごうと思い足摺岬方向に歩いていますと、農家風の御夫婦が「いま取れ立てのブルーベリー食べんされ」みたいな言葉で、ブルーベリーのお接待を受けました。
  またしても、普段長距離を歩かない、太ったおじさんだからなのか、足の裏は水ぶくれだらけで、部屋から出るだけでも難儀。ここまでは根性で順調に歩けましたが、明日はきっと筆舌できない苦しい足取りになるかも。そしていよいよ沖縄に台風が上陸し進路がどうなるかによっては火曜午前に松山空港から無事帰路につけるのか、いやその前に、高知から松山に戻れるのか路線のリレースケジュールを見直していると、明日仮に大雨に見舞われるようなら、バス路線でもある今のルートから、できるだけ早めに帰り始めた方が賢明です。
  ところで仕事は一年間の締め括りを終え山頂に着きましたが、次の一年のスタートが異様に早く進展しており職場には同僚部下を残し旅に出た身としては、今日までの奇跡的な成果にほっとしています。
  もうひとふんばりで、四国最南端足摺岬、38番札所金剛福寺ですが、また次回に譲らざるを得ないかもしれません。前回は9か月前。いま歌にも金がかかっているので、また半年以上先になってしまうかも。
 

わたしの願い

 投稿者:東洋人@XPERIA  投稿日:2018年 6月24日(日)20時46分39秒
     この土日、12時間に及ぶ須賀先生の御指導を受け、日本語の歌い方の難しさ、何度も怒鳴られ(笑)充実したワークショップに参加できました。
  今年で米寿になられるという、高田サブロー氏の一番弟子ともいうべき方に温かい指導を得たのは、私たち高田愛好者にとってやはり嬉しい時間だったと思いますが、とにかく疲れて、明日からの仕事がおっくうです。
  須賀先生は大学で合唱してたところ、もうやめて大阪の材木問屋にでっちに奉公してたんだそうですが、ラジオ放送で『わたしの願い』を聴いてしまい、再び合唱に向かい高田先生にしごかれる関係になったのだそうです。
  このラジオから流れた曲は、Youtubeでは最高の演奏に出逢えませんが、私が高2頃に音楽室から借りて山道を自転車で家に持ち帰り、当時親に買ってもらえたレコードプレイヤーで聴いて驚いた曲集です。一曲が長いからコンクール向きでもなく、世間で演奏されることも少ないですが、これぞ一人でなく合唱の形で歌うことに意味のある、最高の曲だと信じています。
▼昔お世話になった中館先生の指揮による演奏
https://youtu.be/gvmBNdSlAV0

   この詩を書いている、高野きくお氏と高田先生は、しばらくの間合唱創作のパートナーとなられています。

 

9合目

 投稿者:東洋人@XPERIA  投稿日:2018年 6月16日(土)21時01分21秒
編集済
    この一年間の仕事の仕上げが近付いてきました。9割を過ぎた実感があります。
  この春から上司が変わり、幾つも考え方、手法に新しいものが取り入れられ、私はここのところ部下に話しかける暇がないくらい追い詰められてるかのような日々を過ごしました。まあ過去にもお仕えしたことがあり、優秀な人なので費やした時間が徒労には終わらないと信じ、成果は楽しみにしています。

  それでやっと休日を迎えた今日は秋のコンクールに向けた1日練習でした。次の練習までこれから約1か月空くのですが、その間予定が色々入っていて(自分で入れたんですが。)何をするにしてもまず健康第一ですね。喉風邪を引いてる人が近くにいて私も調子悪かったところ、今朝は随分声が出るので参加できました。

  いよいよ来週の土日は、須賀K1先生の指導による『ひたすらな道』(高田サブロー先生の劇的な合唱組曲)講習会です。高齢の須賀氏が元気に指導をされるのも今のうちかも知れないので、聞き漏らさず高田イズムを受け継いできたいと思います。
↓ 5年前の映像
https://youtu.be/vaV5t594Qgs

  あと、陽水さんも現役の間に一度聴きに行きたいです。ピークは通り越してますが、尊敬の念をもって。
↓ 若かりし頃の演奏
https://youtu.be/D-Vx2NSCbRI
  コンサート料金次第でしょう。
 

水無月に入り

 投稿者:東洋人@XPERIA  投稿日:2018年 6月 3日(日)15時49分20秒
     家族旅行の際に、父親の趣味に付き合わされる家族は大変ですね(笑)まあでも温泉もあり、皆さん楽しんでおられたことと思います。

  私の趣味の方では、コンクール本番に外国仕事にいく先生の代わりに、別の団で指導されている若い指導者から練習時点からお世話になることにし、先週の練習で初めてお目にかかりました。パソコンで波グラフを見つつ、声の周波数から人の耳に残る部分をセレクトし効果的な歌唱を目指そうとする感じで、ひょっとすると玄人をうならせる感じになるかも。いやしかし理想が高すぎてそこに至らない可能性もあり、いずれにしても後悔しない演奏にしたいと考えています。

  課題曲は結局、聴き比べをすることなくG1の「Agnus Dei」(William Byrd)になり、順調に練習を進めています。
  タリススコラーズによる演奏例。こんなのを目指します。↓
https://youtu.be/whikoiAHu14
  後半の「dona nobis pacem」(われらに平安を与えたまえ)歌詞の辺りから、ほぼ全ての拍で係留による痛々しい不協和のクラッシュが繰り返され、それが聴く者に痛烈な感情の高まりをもたらす。信仰上の逆境にあったバードが「平安」を願った悲痛なまでの叫びを表現できるかどうか。練習するしかありません…。

  ちなみに今度の30手前の若い先生は、声楽科出身で構成したグループ『歌譜喜』等で数々のグループを主宰されてるのです。こういう御縁になるとは知らず、以前上野の芸大に練習聴きに行きました。この先生が主宰する、かぶきが歌った『私が歌うわけ』と、我々アマチュアアンサンブルグループが歌ったものとYoutubeで聴き比べが可能な、残酷な時代となっております。
https://youtu.be/lW_X3nol34w
https://youtu.be/KtNWgsReBO4
果たしてどちらがどちらでしょうか?
 

旅の写真

 投稿者:Monchan  投稿日:2018年 6月 3日(日)10時42分7秒
  下記URLに貼り付けします。

https://s.mypocket.ntt.com/FjEXW3

 

吉備路の旅

 投稿者:Monchan  投稿日:2018年 6月 3日(日)08時42分56秒
編集済
  先週の話ですが、子供の運動会の代休に合わせて有休を取って、たまには気晴らしをしたいので、日曜、月曜と家族で岡山の3大温泉の一つの湯原温泉に行きました。
土日はいっぱいの人気ホテルも、日月なら予約が取れました。
途中、高梁市に立ち寄って、古い町並みを散策した後に、再び車に乗って、3時ごろ宿に到着しました。何もないひなびた温泉でしたが、のんびり過ごすことができました。
温泉は熱くて気持ちよかったです。砂湯には入りませんでしたが、露天も良かったです。梅雨入り前の爽やかな風が心地よかったです。

翌日は岡山の吉備津神社にお参りして、その後、私の趣味で造山古墳に行きました。長さ300m越えの日本で4番目に大きな古墳ということですが、天皇陵ではないということで、人が立ち入ることができる最大の古墳ということです。しかしそれなりの権力を持った人の古墳であることは間違いないでしょう。古さ的には上位3位の古墳よりも古いということなので、作られたときは間違いなく、国内最大の古墳でした。吉備王の墓と言っても良いかもしれません。
ちょっとした小山のようですが、あの当時によくこんな大きなものが作れたよなという感想です。奈良より前は吉備が栄えたということでしょうか。
その後に、やはり私の趣味で楯築古墳群と言う所に行きました。団地の中にあって、場所がよくわからなかったのですが、ちょっとした公園のようで、雰囲気の良い場所でした。小高い丘の上にある古墳という感じでした。本当は特殊な形状をしているそうなのですが、一部は団地になって壊されてるみたいです。

ここに来たいと思ったのは、何年か前に出雲の弥生の森博物館で四隅突出型古墳群を見に行った時に、学芸係の先生が紹介されていたのが、この楯築古墳で、四隅突出型古墳は方墳の四隅がヒトデのように突出しているのに対して、楯築古墳は円墳の両側が2方向に突出しているのが特徴で、前方後円墳に至る前の原型ではないかとのことをおっしゃっていたからです。作られた時代も、前方後円墳よりももっと古く、四隅突出型の古墳とほぼ同じ時期の古さだそうです。当時としては最大級の古墳だそうです。
先ほどの造山古墳はただの小山という感じで、あまり管理されていない感じがしましたが、こちらの方はきれいに管理されているような気がしました。
古墳の中心地にストーンサークルのようなものがあると、予備知識で知っていたので、向かおうとすると、何やらフルートのような音が聞こえました。
近くに学校でもあるのかな、中高生が練習しているのかなとも思ったのですが、そのストーンサークルの中で、誰やら人がいるようでした。儀式でもやっているのでしょうか。
ちょうど演奏が終わったところのようで、一人はじゅうたんの上に座って、琴のようなものを持っていました。どこにでもいる風の女性の方で、近くの団地に住んでいる主婦かなという感じがしました。笛を吹いていたのはもう一人の女性で、ちょっと変わった古代風な衣装を着ていて、足首に楽器の鈴を付けていて、歩くたびに「シャリン、シャリン」と鈴の音がしていました。もう一人は髪が長かったのですが、男の人で、手に線香を持っていました。3人だけで、他には誰もいませんでした。年代的には私と同じくらいでしょうか。
平日(月曜日)の昼間に、人に聞かせるわけでもなく、自分たちが楽しむためだけに、古墳の上で演奏していたというのでしょうか。変な宗教の人たちでしょうか。
「なんかヤバイくない?」「コスプレの人たち?」と心の中で呟きながら、引き返すわけにもいかず、私たちはストーンサークルに向かっていき、しかたなく彼らに「こんにちわ」とあいさつしたら、「こんにちわ」と返ってきた。
「どうして、ここに来ようと思ったのですか」 笛を吹いていた古代風の女性(仮にヒミコさんとしておこう)が言った。
「別に何もないですよ」 私はつっけんどんに答えた。何かむっとされた様子でしたが、公園の中を勝手に占拠してここで何やってんだという気持ちだったので、余計なお世話だった。彼らのことはよくわからなかっらのですが、なかなかその場から出て行かず、地面を指さして、「この辺が暖かい」とかなんとか言っていたので、「何かあるんですか」と聞くと、「暖かくないですか」と言われたのでそこに立ってみると、暖かくないわけではなかったが、それはストーンサークルの石が、屏風のように林立しているので、反射して暖かいだけでしょうと答えた。ヒミコさんは屏風のような岩に手をかざして、「そうですね」と笑って言った。

琴を弾いていた女性は、まだ座ったままで後片付けをしていましたが、唯一まともそうに見えたので、私はその人に、「実はここに来ようと思ったのはね、出雲の弥生の森博物館にある、四隅突出型古墳というのがあって、数年前にそれを見に行ったのがきっかけで、同じ時代に作られたと言われる、この楯築古墳のことも紹介されていたので、いつか来たいなと思っていたんですよ」と話しかけた。
どんな反応が返ってくるかなと思ったら、ヒミコさんが「この古墳はかなり古いんですよ」というので、「卑弥呼の時代ですか」と聞くと、もっと古いと言った。
「吉備は独特の特殊器台や特殊壺という埴輪を作っていたんですよ」とヒミコさんが言う。あいかわらずシャリンシャリンと鈴が鳴るが、別におかしな人ではなさそうだ。
「知っていますよ。四隅突出型古墳からも出てきたんでしょう。あんな大きなものを、わざわざ運んで行ったんですかね。出雲はここから遠いですよね」
「聞くところによると、JR伯備線のルートが、古代の出雲と吉備をつなぐ道だったんでしょう」 と私も聞きかじりの知識をさらした。
「実は私たち、その特殊器台を作って、弥生の森博物館に奉納したんですよ。さすがにバスで行きましたけどね。」とヒミコさんが言った。
「大和の古墳からも吉備の円筒埴輪が出てきたんでしょう」と言うと、「当時の祭礼には特殊器台が必要だったのでしょうね。吉備は祭礼を司る人たちがいたということですかね」と私も言った。いつの間にか、私たちは意気投合していた。家族はあきれて、さっさと車に戻った。
ヒミコさんも美人という感じではなかったが、少し日に焼けた、味のあるチャーミングなお顔をされていて、当時の卑弥呼もこんな感じだったのかなと想像してしまった。
「実はね、大和の箸墓古墳ってご存知ですか」 とヒミコさん。「ええ、卑弥呼の墓ともいわれている古墳でしょ」と私。
「その箸墓古墳から吉備の土が出てきたらしいんですよ。近々宮内庁から発表になるかもしれませんけどね」
特殊器台の破片が出たのは聞いていますが、何がどうなのかはわかりませんが、吉備とのつながりはあったのでしょう。
「あの倉庫が見えますか。あの中に弧帯石という石が入っているんですよ。横の窓から中が見えますよ」 私もそれは知らなかった。
行ってみると確かに中に石があって、丸のような文様が刻み込まれていた。何か縄文の土偶の文様にも似ている。
「四隅突出型古墳にも弧帯石があったんでしょう。儀式で使っていたんですかね。儀式が終わるとバラバラに砕かれたんでしょう。なぜなんでしょう。」 ヒミコさんに探りを入れてみた。
「さぁ、でも今でも変わっていませんよ」とヒミコさん。 「祈りの本質は受け継がれているということですか」 と私。
「私たちは、これから近くの遺跡に行きます。そこは中が見れますよ。」 「そうですか、私はもういかなくっちゃ」
髪の長い男の人の持つ線香の煙がいい匂いを漂わせている。ヒミコさんのゆっくりとした足取りに合わせて、シャリンシャリンと鈴の音が静かな公園に響く。何とも不思議なご一行だった。私も変人の類だけど、彼らには勝てない。これも何かの縁なのかな。パワースポットで神様が彼らを引き合わせてくれて、おもてなしをしてくれたのでしょうか。彼らの目的はわかりません。インスタに投稿するわけでもなく、人に聞かせるわけでもない。単純に吉備を愛する、楯築古墳を愛するボランティアなのでしょうか。
ただ、どんな演奏をしたのか聞きたかったです。私もフリーな身分だったら、仲間に入れてもらって、マンドリンで演奏に参加しようかな。

楯築古墳を後にして、倉敷の三井アウトレットモールに立ち寄って帰りました。
パワースポットめぐりで疲れましたが、温泉にも入れたし、腹いっぱい飲み食いできたし、ヒミコさんにも出会えたし、よい休日でした。
出雲から吉備へと繋がるルートが、さらに大和へと東進していった。都を構えるに相応しい比較的温暖で、水運に恵まれて、平野のある、まほろばを求めて、というのが、私の考えです。そこで最初の全国的な国づくりがおこなわれたのでしょう。その後、九州から瀬戸内を経由して東征してきたグループも加わって、大和時代に入ったのだと思います。
まだまだ、古代に対するロマンは尽きません。
 

sweet memories

 投稿者:東洋人@XPERIA  投稿日:2018年 5月27日(日)20時47分52秒
    秀樹と聖子の「sweet memories」デュエットは、前から時々聴いてましたが、音質の良いのが先週あたりからアップされているので追悼的に多くの方が聴いてるような気がします。
https://youtu.be/9bfau1r1FEg
  ハモらせる秀樹が、非凡な才能を持ってることを感じさせられます。

  昨日街を歩いていたら、「虎狼の血」でしたっけ、映画館でポスターが眼に入りました。Monchanがこのことを仰ったのかと笑いそうになりました。また明日から残りの仕上げに向けて気合いを入れていきます。

秀樹といえば、ちびまる子ちゃんのEDソングの『走れ、正直者』も印象深いですね。ちょうど国立で長期研修の頃にテレビで流れていて、ノリが良い曲なので、職場の一発芸みたいな出し物で一人で歌いました。前の日に、ちびまる子ちゃんの主な役の面を作って四人位にかぶってもらい、歌う私の横で適当に踊ってもらって(笑)
https://youtu.be/DxGbggj5xso

  なんだかんだ言って、歌が人生の色んな場面に彩を与えてくれるのは間違いないですね。
 

孤狼の血

 投稿者:Monchan  投稿日:2018年 5月25日(金)23時07分45秒
  強敵に対して立ち向かう姿は、まさに孤狼の血。負けずに信念を通してください。

ということで、呉を舞台にしたヤクザ映画、仁義なき戦いの続編というキャッチフレーズに釣られて、会社の同僚で幼馴染のS君と一緒に、まさに呉で映画を見ました。
映画館で映画を見るのは久しぶりでしたが、迫力ありましたね。心臓がバクバク鳴りっぱなしで、健康に良くない映画でした。
画面が汚くて、暴力シーンも多くて、子供向けではありませんが、面白かったです。原作者は女性なのでしょうか。こんな作品が書けるなんて、すごいと思います。
役所広司の迫真の演技や存在感、松坂桃李のかっこよさが印象に残りました。
暴力団抗争を止めるために、任務のためには手段を選ばない大上(役所)に、反感を抱きながらも、次第にひかれて、いつの間にか後継者となってゆく相棒の日岡(松坂)の心模様。実際にはありえない話でも、いつの間にかのめりこんでしまいました。ぜひとも続編をやってほしいです。

映画を見た後、S氏と駅近くのホテルのビアガーデンで、飲み食いしました。
あんな血なまぐさい映画を見た後で、焼肉用に皿いっぱい盛られた生肉を見るのも、なにかキツイものがありましたが、それはそれで美味しくいただきました。
生ビールも旨かったです。とにかく今日は、久々の呉でノスタルジックに浸った午後でした。

東洋人さんも山頂に登られた後には、旨い生ビールでも飲まれたらいかがでしょうか。
この世界の片隅からエールを送らせていただきます。乾杯!
 

5月の別れ

 投稿者:東洋人@XPERIA  投稿日:2018年 5月25日(金)22時25分13秒
    今週末までにいろんな会社を相手にイベント続きで、常に私が主役というか進行役であり、体調管理に注意してタスクをこなしてきましたが、登山で言えば八号目位のところを過ぎた感慨にふけっています。
  とにかく半年にわたって積み上げてきた膨大な証拠を、崩して潰し、何事もなかったかのように取り繕おうとする方々をこの3年、というか四国に行く前を含めれば5年近く相手にしてきました。
  さすがに夏には私は別の任務に異動することと思いますが、若い優秀な人材も着実に育ってきて、私自身が今の任務を大切に思っていることに気付かされます。
  来週からは病気になってもなんとかなるので、束の間の休息を謳歌し、新天地に旅立っていこうと思います。
  そんな夜は、井上陽水さんの『5月の別れ』ですね。
  とてもいい歌です。発声は参考になりませんが。

https://youtu.be/H9NdTrA55-E
 

まさにブルースカイ

 投稿者:Monchan  投稿日:2018年 5月20日(日)11時03分42秒
  雨上がりの列島は、高気圧に覆われて、涼しい良い天気となりました。
雲一つない青空と新緑が目に優しい、気持ちの良い週末を過ごしております。
ブルースカイブルーも、改めてしみじみと聞いてみると名曲ですね。まるで空の上から歌ってくださっているかのようです。
亡くなった後になっていくらほめたたえても、本人には届きません。だったら生きている間に言ってあげればよかったのにと、いつも思うのですが、それが人の心なのでしょうか。
何もできないは私は、自分の仕事を精いっぱいやるだけです。
 

ブルースカイ ブルー

 投稿者:東洋人@XPERIA  投稿日:2018年 5月19日(土)21時28分53秒
  https://youtu.be/pDUpRSGpMfM
御冥福をお祈りします。
広島出身とされていますが、地元で過ごされた逸話などもあるのでしょうか?

このブルースカイブルーが、私がカラオケでたまに選曲する名作です。
 

5月も半ば

 投稿者:Monchan  投稿日:2018年 5月16日(水)05時38分27秒
  気がつけば5月も半ば。連休が終わって、いつもの忙しい毎日に戻っています。
土曜日は仕事でしたが、夕方から新入社員の歓迎会に行きました。
広島駅の近くで飲みましたが、ちょうどカープの試合が終わって、赤いユニフォームを着た群衆が、どっと飲み屋街になだれ込んできて、ちょっと怖い気もしましたが、今年のカープも強いみたいで、広島の景気の牽引となればいいと思います。

日曜日は雨でしたが、別にどこに行く予定もなかったので、家でのんびりしました。なんか疲れが取れないこの頃です。
日曜日の夕方は、ひと風呂浴びて飯食いながら、笑点、バンキシャ、鉄腕ダッシュ、そして私は大河を見るのがお決まりで、また明日から仕事頑張ろうという気になるのですが、鉄腕ダッシュが例の事件で最近見れなくなって、つまらないのですが、ぜひとも乗り越えてほしいですね。
始まりがあれば終わりもあるのでしょうけど、50、60になってもアイドルとしてがんばってほしいです。
あの番組は子供からお年寄りまで、一緒に楽しめる、国民的な番組として結構長く続いていますが、私が感じるに、全体を通して流れるテーマは、「デフレの世の中を明るき生きる」というのがモチーフかなと思います。
何もないところに何かを作って、お金がなくても一緒に楽しく頑張るという、我々が忘れていた縄文人的な血をにぎ立たされるようなロマンを感じさせて、バブル崩壊後の閉塞感のある社会の中で多くの人たちの共感を得て、今日まで続いてきたのが人気の秘密だと思います。
それに対してFテレビは、80年代の漫才ブームをきっかけに、「面白くなければテレビじゃない」をテーマに、バブルに乗っかって権勢を誇ってきたのでしょう。「一億総白痴化」などと言われたこともありました。しかし国民はそこまで馬鹿ではなかった。
軌道修正が遅れたのが凋落の原因だと思います。面白ければ何をやってもいいいいというわけでもありませんし、笑いの質も問われるご時世にかわってきていかわってきているのかもしれません。私もお笑い番組は好きですが、下品でなく、嫌みのないお笑いが好きです。
旅番組とかも好きですし、見て感動を与えられる番組、勉強になる番組が私は好きです。
 

ヨリコと愉快な仲間たち

 投稿者:東洋人@XPERIA  投稿日:2018年 5月12日(土)21時02分35秒
    私が何年か前まで在籍した大久保混声でご一緒したSopranoの方が人生の節目の歳を迎えられ、声楽科出身でもありますし独唱を含め5ステージにわたる個人の名を冠した演奏会を設けられました。
  先週ようやく私のところにもお誘いがきたので、バスで数停留所の白寿ホールに聴きに行きました。
  武蔵野音大系統やこれまでの様々なつながりから、趣向をこらした演出で楽しく拝聴することができました。私は自らの意思で抜け出してきた大久保メンバーと会うのが面倒でしたので、1ステージ残したところで失礼しようとしたところ、久々に会った別のグループの人たちと少しお茶して、音楽のお喋りをして帰路に着きました。
  大久保OBOGメンバーによる演奏もあり、なぜか大久保の指揮者でない人が振っているのが微妙でしたが、かつては歌うことの多かった、
高田三郎作曲『心の四季』より 風が
https://youtu.be/3BUeWyCC-V0
を聴いて懐かしくなりました。
  このリンクをはったYoutubeは大阪の豊中混声のものですが、この団は大久保以上に高田作品に心血を注ぎ、大変に感動的なレコードを残している、憧れの団です。ここを昔振っておられたのが、須賀ケイイチさんという米寿を迎える指揮者で、Saiさんが東京で活動されている団の名誉指揮者でもあるはずです。
  この方を6月に東京に迎えて講習会をもつのが、最近投稿しています『ひたすらな道』なんです。私が東京に出てきた年だったか、まだ指揮を振れていた高田先生自身の演奏を目の当たりにし涙が溢れたのを昨日のように覚えてますが、あれから四半世紀経ち、教え子の須賀先生も指揮が難しい体調だと伺っています。
  その人の講習会を面倒だからとスルーしたときに、とんでもない後悔をしそうな気がするので、本当に二日がかりの日程でつらいんですが、来週口座振込して申し込もうとしています。
  今のアンサンブルグループにも後悔をしないように何度か伝えてましたところ、先ほど一人、申し込んでみたいと連絡を受けました。
  東京連盟の総会で聞いたところでは、定員の2~3割程度しか申込がないそうです。私としては変に大人数になるよりも、少数精鋭(笑)で先生と目を合わせて貴重な糧を得たいなとイメージばかりが進んでいます。
 

TokyoCantat2018終演

 投稿者:東洋人@XPERIA  投稿日:2018年 5月 6日(日)18時29分49秒
編集済
    毎年の恒例行事のように書いてるので飽きた方、失礼します。今年の連休ずっと合唱に時間を捧げてきた方々のお祭りが終わりました。
  ここ数年招聘講師&指揮者としてエルヴィン・オルトナー氏が元気な姿を見せてくれています。彼は世にいうシェーンベルグ合唱団(作曲家の名を冠した団)の創設者で、あの分野でグラミー賞みたいな功績を残した偉人で、5月連休は日本独特の休暇なのかもしれませんけど、毎年来日して東洋のアマチュアに熱心な指導をしてくださる貴重な人です。彼が来てくれるというなら日本から断ることは不可能ではないでしょうか?
  私は公開練習を含めて連休を3日これに費やしました。聴くだけなので疲れません。歌い続けた合唱人に拍手を送りたいです。
  うまい団とこれからの団の実力が随分離れていますが、精進し続けることでうまい団の人に仲間入りする若者も出てくるでしょう。うまいのは「栗友会」と「PVD」です。こうした団は昔はコンクールで箔をつけたりはしたものの、すっかりコンクールは卒業し、演奏会やレコーディングのセミプロ世界に進んでいます。
  私の今年の収穫は、プロの東京混声合唱団にバリトンで活躍されている方が、同じ公開練習を聴講されていたことです。そっくりさんではなく、扱われ方からして間違いないです。知人か親類の若い人が歌い手にいたのか、ただ純粋に外国の招聘講師の指導をご覧になりたかったのか。そこは不明です。
  うちのアンサンブルグループは誰も聴きに来てませんが、私の行動が間違ってはいないと自信を持たせてくれました。
  一方、広島では参加型の合唱講習会があり、昨日で終わり、今日は宮島に遊びにいった人がいるようです。毎年、開催地を変えているので旅行と歌うのが好きな金持ちにむいてそうです。
  では、電車を乗り換えるので失礼します。

  帰宅して思い出したのでリンクをば。
  最後にオルトナ氏が演奏された、アーノルド・シェーンベルク作曲の『地上の平和』などと訳されている、十二音技法による名曲です。
https://youtu.be/TxTuAbV8sz0
  歌い手は英国の放送合唱団、BBCシンガーズです。ちょっとヴィブラートかけすぎですね。(笑)
 

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